2016年11月30日水曜日

K.310(300d) ピアノ・ソナタ イ短調 第1楽章

パリ滞在中の1778年7月3日、モーツァルトの母は他界しました。
その悲しみ、心の不安をこの時期に書かれたヴァイオリン・ソナタ ホ短調 K.304(300c)とこのピアノ・ソナタでモーツァルトは表現したともいわれています。
モーツァルトの母を失った悲しみは計り知れないと思われますが、ザルツブルクにいた父宛ての母の死を知らせる手紙では、父の気持に配慮した間接的な表現に留まっています。
このソナタの冒頭は烈しく暗い緊張をたたえた主題で始まり、様々な転調や強弱の変化を伴って再現されていき、一本の強い芯で貫かれたような悲壮感が胸を打ちます。
当時、他に類見ない革新的な表現で、次世代の作曲家に大きな影響をもたらした歴史的な曲だといわれています。


ピアノ・ソナタ イ短調 K.310(300d)/第1楽章 Allegro maestoso イ短調 4/4 ソナタ形式

Link▶▶ 第2楽章 Andante cantabile con espressione

余談
今月はモーツァルトのマンハイム=パリ旅行(1777年~1778年)の期間の曲を聴いてきました。
この旅でモーツァルトはザルツブルク(田舎町?)を離れ、大きな都市で就職口を得ようと試みましたが失敗に終わり、この後故郷へみじめな帰還をします。
モーツァルトほどの傑出した才能があったからこそ、現実社会でその才能に見合った職を見つけることは非常に困難であったと思われます。
もし、首尾よく就職できたとしても、雇い主に気を遣う創作活動には、いつか我慢できなくなる日が来たことでしょう。
結果的に彼は貴族に仕える道を断念し、ウィーンで自立した作曲家生活を始めますが、それはモーツァルトにとって必然的な道だったといえるでしょう。

2016年11月28日月曜日

K.306 (300l) ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 第3楽章

今日は6曲セットの「選帝侯妃ソナタ」の最後の6曲目を聴いてみます。
作曲されたのはパリ滞在中の1778年夏頃と思われます。
3楽章形式でこの最後の第3楽章は、フランス風に響く2/4拍子のアレグレットとイタリア風な6/8拍子のアレグロが絶え間なく交替され、即興的要素も含まれ、活発なコンチェルトでも聴くような趣向が凝らされています。
この作品を作曲していた頃、ともに旅をしていたモーツァルトの母は病状を悪化させていましたが、この作品を聴く限りそのような陰りは感じさせません。


ヴァイオリン・ソナタ ニ長調/第3楽章 Allegretto-Allegro ニ長調 2/4 ロンド形式

今週の「きらクラ!」 ブラボー!!! 「舟唄まつり」!!!
私の非常に狭い音楽の守備範囲の中で「舟唄」といわれても、パッと浮かぶものが殆んどありませんでした。
ですので、当初この企画を耳にした時「舟唄でお祭り……???」という疑問符状態で、昨日はアウェイ感を抱きながら放送を聞きました。
ところが、リスナーの皆さんからの多くのリクエストが紹介され、まだ知らなかった豊かな音楽の分野に触れさせていただきました。
どのメロディーも独特のゆったりと大海原を航海するような充足感に満ち、至福の2時間を過ごすことができました。
船頭:コダマッチ様はじめスタッフの皆様、本当に素晴らしい企画をありがとうございました。
このような斬新な企画を見事に達成できるのは、ふかわさん、真理さん、コダマッチさん、スタッフの皆様、そして素晴らしいリスナーの皆さんの音楽愛に支えられた結束の賜物だと感じました。

2016年11月26日土曜日

K.297(300a)交響曲 第31番 ニ長調 「パリ」 第3楽章

このパリ旅行でモーツァルトが作曲した多くの作品の中で、最も有名なのは、フルートとハープのための協奏曲 K.299(297c)と、今回聴く交響曲「パリ」でしょう。
この交響曲はル・グロの依頼で1778年6月~7月に作曲しました。ル・グロは例の協奏交響曲のスコアを見当たらなくし、上演しなかった当事者で、モーツァルトにとってあまり気の進まない注文であったと思われますが、断れる立場でもなかったようです。
当時のパリでは、オペラやオーケストラの音楽が非常に愛好されていて、そのパリっ子の好みを巧みに反映させ、依頼主を大満足させる作品に仕上がっています。
第1楽章は以前(2013年6月)取り上げました。この第3楽章は弱く始まって、急に強いトォッティになり、聴衆の好みを刺激してやんやの喝采を浴びたようです。疾走するように曲は展開し、一気呵成にコーダへ入っていきます。


交響曲 ニ長調 「パリ」K.297(300a)/第3楽章 Allegro ニ長調 2/2 ソナタ形式

Link▶  交響曲 ニ長調 「パリ」 第1楽章
    フルートとハープのための協奏曲 第1楽章 第2楽章 第3楽章

<写真>福島潟(新潟市北区)から望む五頭山と冠雪した飯豊連峰大日岳方面(11月26日撮影)

余談
新潟の11月は例年、どんよりした雲に覆われ、冷たいみぞれや雪に耐える日々が多いのですが、今年は珍しく好天が続きます。
今日も晴天の中、雪化粧を始めた峰々が青空を背景に光り輝いていました。冬は間近に迫っています。

2016年11月22日火曜日

K.264(315d)「リゾンは眠った」による9つの変奏曲 ハ長調

モーツァルトは生涯にわたって14曲(完成したもの)のピアノのための変奏曲を書いています。
そのうち8曲は旅行中に生み出されています。折々に訪れた土地の流行の曲を主題としていち早く取り入れ、変奏曲に仕上げ、自身の高度な技巧と作曲の才能を当地の人々に披露するのが目的だったと思われます。
そしてこのパリ旅行の間にも4曲も書いていることは、パリで職を得ようとする懸命な気持ちが伝わってきます。
このK.264(315d)の主題は、当時パリで名声の絶頂にいたニコラ・ドゥゼード作曲の喜歌劇《ジュリー》のなかのアリエット〈リゾンは眠った〉によります。
全32小節におよぶ長大な主題ですが、モーツァルトは斬新で意欲的な変奏を展開しています。ここではフォルテ・ピアノによる演奏を聴いてみます。


ドゥゼードの「リゾンは眠った」による9つの変奏曲 ハ長調 K.264 (315d)

今週のきらクラ!
今回も楽しい放送でした。まず、ハーモニカによるウィリアムテル序曲にはビックリ!!!
BGM選手権はお題からして、弦楽四重奏とか三重奏、チェロ・ソナタなんかが選ばれるかと思いきや、意外な曲が採用され、とても刺激を受けました。 ベストのフランクのヴァイオリン・ソナタもよかったですが、私的にはちょっとキーが高すぎかな……。次回の『舟歌』、一体どんな曲が付くのでしょうか?
また、ふかわさんが少し鼻声だったのが気になります。お忙しいと存じますが、時節柄ご自愛ください。

2016年11月19日土曜日

K.297b(Anh.9) (管楽器のための)協奏交響曲 変ホ長調/第1楽章

1778年3月23日、モーツァルトは母と二人で12年ぶりにパリの地を踏みました。
到着後まもなく、ちょうどパリにいあわせた4人の管楽器の名手のために1曲の協奏交響曲を書きました。
この自筆譜はコンセール・スピリチュエルで演奏するため、総監督のジャン・ル・グロに売り渡されましたが、この自筆譜はなぜか紛失し、せっかくの作品は演奏されずに終わったそうです。
このことについて、モーツァルトは父宛に憤慨して陰謀を疑う書簡を送っています。当時パリで活躍していた作曲家の誰かが、モーツァルトに名声を奪われることを恐れ、陰謀を企てた可能性は十分ありえそうです。

現在演奏されている楽譜は、モーツァルト研究家オットー・ヤーン(1813--89)の遺品から見つかった写譜が用いられています。自筆譜がないため現在でも真作か否かの議論が続いているようですが、私(音楽のド素人)はモーツァルトの作品として全く違和感は感じません。
全3楽章で、独奏楽器はオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットで、パリ風の典雅で豊かな響きに満ちています。


協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.9)/第1楽章 Allegro

Link▶ 第3楽章 Andantino 変ホ長調

<写真> 新潟市西区 佐潟の白鳥 (2016年11月18日撮影)

余談
12年前の1766年にモーツァルトがパリを訪れたのはわずか10歳の時です。神童ともてはやされ、貴族たちの前で驚愕の演奏を披露していた頃の記憶はすでに忘れられ、モーツァルトの就職活動はこのパリの地でも困難を極めました。
選帝侯へ就職を懇願しても返答はいつも『空席がない』の一言だったようです。
この協奏交響曲への妨害は、モーツァルトの才能を見抜いた作曲家が恐れをなして企てたとも考えられます。
既得権益者が新来勢力に対して身を守ろうとすることは、いつの時代も同じようです。

2016年11月17日木曜日

K.305(293d) ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第2楽章

モーツァルトはマンハイム=パリ旅行の間に7曲のヴァイオリン・ソナタを集中的に作曲しています。
それ以前は、7歳~12歳の間に作曲した18曲程の習作的な作品があるのみですから、本格的にヴァイオリン・ソナタに取り組んだ最初の時期といっていいでしょう。
その中で、K.301~K.306の6曲は、当時のバイエルン選帝侯妃マリーア・アンナ・ゾフィーに献呈されたことから、「選帝侯妃ソナタ」と呼ばれ、パリで出版されました。
いずれも非常に充実した聴きごたえのある作品になっています。
このK.305はイ長調の明るくギャラントな雰囲気をもっています。2楽章形式で、この第2楽章はめずらしく主題と6つの変奏曲から構成されています。


ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K.305(293d)/第2楽章 Andante grazioso 主題と6変奏

余談
以前にも書きましたが、モーツァルトの時代はヴァイオリン・ソナタは主役がピアノでヴァイオリンは伴奏に回る形式になっていて、正確には「ヴァイオリン伴奏つきのピアノ・ソナタ」となっていました。
しかしモーツァルトはピアノとヴァイオリンが対等に渡り合う近代的な作風への先駆的作品を残していきました。
このブログでも今まで多くのヴァイオリン・ソナタを取り上げてきましたが、選帝侯妃ソナタの他の曲のリンクを下記に示します。お時間のある方はご覧になってください。
 Link ▶▶ K.301 ト長調、 K.302 変ホ長調、 K.303 ハ長調、 K.304 ホ短調

2016年11月14日月曜日

K.311(284c) ピアノ・ソナタ ニ長調 第1楽章

幼い頃から数多くの旅を経験したモーツァルトは、各地で様々な人や音楽との出合いの中でその才能を開花させていきました。
このマンハイム・パリ旅行でも、アウクスブルクのクラヴィア職人であったシュタインとの出会いはその創作意欲を刺激したようで、3曲のソナタ(ハ長調 K.309、ニ長調 K.311、イ短調 K.310)を書いています。
父宛の手紙にモーツァルトは次のように書いています・・・・
『シュタインの仕事をまだ見ていないうちは、ぼくはシュペートのピアノがいちばん好きでした。でも今ではシュタインの方がまさっていると言わざるをえません。 この方がレーゲンスブルク製のものよりも、いっそう共鳴の抑えが利くからです。強く叩くと、指をのせておこうと離そうと、鳴らした瞬間に、その音は消えてしまいます。思いどおりに鍵盤を打っても、音はいつも一様です。カタカタするとか、強くなるとか弱くなるとかということはなく、まして音が出ないなどということはありません。一言で言えば、すべてが一様なのです。』(岩波書店 「モーツァルトの手紙(上)」P70より)

シュタインのフォルテピアノによって新しい表現方法を発見したモーツァルトは、すぐにこれらの作品の中で具現化したといわれています。
この第1楽章はモーツァルトらしい明るく快活な光に満ちています。


ピアノ・ソナタ ニ長調 K.311(284c)/第1楽章 Allegro con spirito ニ長調 4/4 ソナタ形式

<写真>弥彦公園の池に映るもみじ谷の紅葉 (この写真はNHK新潟放送局「わたしの旬」〈11月10日放送〉で採用していただきました)

 今日の『きらクラ!』
今回の「勝手に名付け親」コーナーは興味津津でした。あの名曲に一体リスナーはどんな名前を付けるんだろう……と、全く枯渇した自分の発想を諦めて、ただただ拝聴させて頂きました。
さすがに素晴らしい投稿の数々で、ベストに選ばれたつくば市のたれもんたさんの「黎明――静かなる決意」には心から納得しました。既存の名前を凌駕するものだと感心しました。ところが今回、さらに付録がつきました!
この新世界の第2楽章全体を4部に分けた「交響的絵画 フランダースの犬」(小平市 ゆうせいさん)が彗星のように登場しました。大まかな内容が音楽に合わせて紹介されましたが、すごいピッタリ感! 誰でも知ってる名曲と児童文学の見事なコラボでした。フルバージョン聞きたい!!!!

そこで思ったのですが、いつもこのコーナーを聞くと、リスナーの投稿の中には非常に発想豊かなストーリーになっているものも多いので、特別版で「勝手にストーリー」として、オリジナル、アレンジ等を問わず、音楽に丸ごと合わせたお話を募集するのも面白いのではないかと思いました。
「BGM選手権」の完全逆バージョンになり、スタッフの方々の負担も多くなるかと思いますが、とても面白いと思います。コダマッチ様ご検討ください。

2016年11月12日土曜日

K.315(285e) フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調

モーツァルトがマンハイムに滞在していた頃(1777年10月-1778年3月)の作品をもう少し聴いてみます。
この地でオランダ人の医師で裕福だったフルート愛好家のドゥジャンから作曲依頼を受けて、モーツァルトはこの作品の他にフルート四重奏曲、フルート協奏曲などフルートのための作品を数曲残しました。
この作品の自筆譜には日付が記されていないため、時期は特定できませんが、K.313のフルート協奏曲の第2楽章が一般愛好家には難しい面があったため、平易な形に書き直したものだとも考えられています。

弦のピッツィカートに管の響きが加わるお穏やかな導入部から、すぐに独奏フルートがのびやかに主題を歌います。
中間部で愁いを帯びた短調に転じ、再現部を経てカデンツァのあと第一主題に戻り静かに曲を閉じます。


フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調 K.315 (285e) 2/4 ソナタ形式

余談
年をとると朝早く目が覚めます。気が向くと時々NHKの「ラジオ深夜便」を聞きます。
今朝(11日午前4時)にたまたま聞いた放送がとても心に残りました。
リラ・プレカリア(祈りの立て琴)プログラム・ディレクター キャロル・サックさんのお話でした。
病床にある方や心身に痛みを持つ方に、ハープと歌による祈りをお届けする活動をボランティアでなさっておられる方でした。
その目的は、訪問を利用してくださる方一人ひとりに「あなたはそのままで価値のある大切な存在です」と伝えることにあるといいます。ベッドサイドで利用者の呼吸に合わせながら音楽を奏でることで、共感と敬意をもって利用者と共に在ること、そしてそれが利用者の癒やしとなることを目指しているそうです。
実演も聴かせていただきましたが、深い安らぎに包まれる幸福感に満たされました。何か音楽のもつ力の本質に触れた思いでした。

2016年11月9日水曜日

K.308 (295b) アリエット「淋しく暗い森で」

K307(284d)と対をなす作品です。
前作とは異なって、歌詞の内容によってテンポや調性が激しく変化する作品です。
歌詞はアントワーヌ・ウダール・ドゥ・ラ・モット(1672-1731)によるものです。
この対の作品は、モーツァルトの歌曲の中で初めて完全なピアノ伴奏パートを伴っていて、フランス語の歌唱とあいまって、豊かで繊細な表現に満たされています。

<歌詞大意>
さびしく暗い森で先日私が散歩をしていると、木蔭で愛の神(キューピッド)たる子供が1人眠っていた。
近づくと私はその美しさに引き込まれたが、それは、忘れようと誓った不実な女の目鼻だちそのものだったのだ。
彼は赤い唇をし、彼女のようなきれいた顔をしていた。
私がため息をもらすと、わけもないのに彼は目覚め、すぐに翼を広げると、復讐の弓をつかんで飛び立ちながら、私の胸を傷つけた。
「お行き、もう一度身をこがしにシルビィアのもとへ行くがよい。おまえは一生彼女を愛するのだよ。ぼくを目覚めさせてしまったから」。 (音楽の友社「作曲家別名曲解説リブラリー モーツァルトⅡ」より)


アリエット「淋しく暗い森で」K.308 (295b) Adagio 2/2 変イ長調

2016年11月7日月曜日

K.307 (284d) アリエット「鳥たちよ、毎年」

大変長らくご無沙汰しておりました。
久しぶりにモーツァルトの歌曲を聴いてみます。

この曲は1777年10月から翌年の3月までに書かれたと思われています。
この時期、モーツァルトは母と二人で就職活動のためにパリを目指していましたが、途中マンハイムで5ヶ月半もの長居をして、ザルツブルクの父をいらいらさせていました。
その際書かれた2曲の歌曲の第1曲であり、当地のフルート奏者ヴェントリングの娘アウグステ(当時25か26歳)のために、彼女の求めに応じてフェラン(Antoine Ferrand, 1678-1719)によるフランス語の詩に曲ををつけたものと思われます。
2分に満たない短い曲で、フランス趣味豊かななめらかな旋律の曲です。

<歌詞大意>
鳥たちよ、おまえたちは毎年、木の葉の落ちる冬になるとここを去っていってしまう。
冬を避けるためではなく、花の季節にしか恋ができない運命だからだ。
そして一年中恋ができるように、花の季節が過ぎるとおまえたちはそれを別の土地へ探し求めるのだ。
   (音楽の友社「作曲家別名曲解説リブラリー モーツァルトⅡ」より)


アリエット「鳥たちよ、毎年」K.307 Alegretto 2/4 ハ長調

<写真>弥彦神社 もみじ谷(11月7日撮影)

余談
長い長い間、更新しませんで、大変申し訳ありませんでした。
またぼちぼち始めますので、お時間のある方は是非お立ち寄りください。
当地は紅葉の盛りを迎えています。今日は予想外の晴天に恵まれて、弥彦神社に行ってきました。菊祭りで随分賑わっていましたが、カメラを抱えた多くの人々はもみじ谷を目指していました。
太陽の光を一杯に浴びた一面の紅葉が実に見事で、自然の営みの美しさに言葉を失いました。