2017年1月30日月曜日

K.22 交響曲(第5番)変ロ長調 第2楽章

西方大旅行の時に書かれた、初期の交響曲を聴いてみます。
1765年12月末に旅先のオランダのハーグ(デン・ハーク)での作品で、翌月の1月22日に開かれた公開コンサートのために書かれたものと思われます。
モーツァルト9歳の作品になりますが、1~4番の交響曲に比べ確実に進歩していて、モーツァルト自身の音楽を感じさせる内容になっています。
全体は3楽章で7分にも満たない短い曲ですが、この第2楽章は「ト短調」で書かれていて、後の第25番、40番の名作を思い起こさせます。この楽章での感情表現は当時の社交音楽の範疇を超えたものであると思われます。


交響曲(第5番)変ロ長調 K.22/第2楽章 Andante ト短調

余談・今日のきらクラ!
今日も大変楽しい放送でした。「空耳」でのモツレクには大笑い!! 凄い空耳力!!
また先日読んだばかりの恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」も話題になって、私と同じような感想を投稿された方がいらして嬉しくなりました。「ピアノは打楽器」というバルトークの協奏曲も聴けました。
この小説は構想12年、取材11年、執筆7年だそうで、それを聞いて納得できました。著者自身もピアノを弾かれ、ピアノ音楽を聴くのをなによりの楽しみにしてらっしゃるようで、まさに渾身の名作といえると思います。

そして、BGM選手権はまたまた凄かったです。4作品どれも素晴らしく、感動させていただきました。
何度も採用されていらっしゃる常連のsatotakaさん、となしちさん、レントよりアダージョさん・・・どれも素晴らしい選曲!! 特に私はsatotakaさんの「オーヴェルニュの歌からバイレロ」が好きです。安らぎのメロディー、そしてソプラノの歌唱が入るところは絶品!!
BGM選手権の投稿者の皆様の高レベル世界は、ただただ仰ぎ見るのみです。

最後のラジオネームで、私と同じ名前の方が静岡にもいらしたのか……と思ったら、私の名前を読んでいただき感謝です。コダマッチさんのお慈悲を感じます。今回採用されたBGM作品に比べると、文章力・選曲ともに私のは遠く及ばないことを自覚できました。これからは路線変更して「おやじギャグ」で行こうかな??

2017年1月27日金曜日

【祝 生誕261年】K.6 ソナタ ハ長調

Happy 261st Birthday!!  W.A.Mozart!!!
本日はモーツァルト261回目の誕生日です。
そこで、6~8歳の頃書かれた最初のヴァイオリン・ソナタを聴いてみます。
幼い頃のモーツァルトは父親と一緒にヨーロッパ各地の旅に明け暮れていました。その中でも7歳(1763年6月)から10歳(1766年11月)の3年半にも及ぶ西方大旅行は最も長期に亘るものでした。
ヨーロッパ各地の王侯貴族の前で神童ぶりを発揮して称賛されていました。そして旅行中に父のプロデュースで20曲程のヴァイオリン伴奏つきのソナタが4回に分けて出版されていました。
この曲はその中で最初のもので、次の K.7 と一緒に1764年2月パリで出版されています。当初チェンバロ独奏用に書かれていたものに、ヴァイオリン声部が書き添えられています。
K.6 のみ4楽章構成で、この第1楽章は56小節でソナタ形式の前段階のようなシンプルな作りになっていますが、7、8歳の子供が作曲したものとしては驚きを禁じえません。


ソナタ ハ長調 K.6/第1楽章 Allegro

余談
今年もモーツァルトのお誕生日をお祝いする日がやってきました。嬉しいかぎりです。
ところで全国的に寒波に覆われて震えるような寒さの毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は極力外出を控え、こたつで直木賞受賞の『蜜蜂と遠雷』を読んでいました。こんなにおもしろい小説は久しぶりでした。過去に○○賞受賞作品というのは、読解力不足の私には読後「???」の気持ちになるものが多いのですが、『蜜蜂と遠雷』は『博士の愛した数式』以来の素直に楽しめて感動できる作品でした。
国際ピアノ・コンクールを舞台にした小説で、出場者の心理や演奏曲目の描写など作者の音楽に対する造詣の深さに驚かされました。そして音楽の存在意義の深淵に迫るような記述もあり、感銘深く読ませていただきました。恩田陸さん、ありがとうございました。

2017年1月21日土曜日

K.287(271h) ディヴェルティメント 変ロ長調 第6楽章

終楽章は意表を突いて、独奏ヴァイオリンの悲劇的なレチタティーヴォを思わせるト短調のアンダンテで始まります。
このことは、後の主部のロンド主題が南ドイツの民謡「百姓娘が猫を失くした」によっているためにとられたモーツァルトの機智によるとも解されています。
その序奏の後は一転してアレグロ・モルト、変ロ長調、8分の3拍子のロンドが始まり、ディヴェルティメントらしい快活な曲想になります。
終わり近くにもう一度アンダンテが再奏され、最後にロンドのテーマで締めくくられます。


ディヴェルティメント 変ロ長調 K.287(271h)/第6楽章 Andante - Allegro

余談
本来、気晴らし的な明るい娯楽音楽がディヴェルティメントですが、この楽章にみられるように、モーツァルトは明るさの中に哀愁の翳がただよう、笑いの中に涙が見え隠れするような、たとえようのない美しさを表現しています。
これ以後に書かれたこの種の作品は、単なる娯楽音楽を超越した比類のない芸術作品となっていきます。

ところで、昨日直木賞が発表され、恩田陸氏の「蜜蜂と遠雷」が受賞されました。
この小説はピアノコンクールを舞台にした長編小説だそうで、私の尊敬するクラシック音楽のブロガーの方が非常に高く評価していらしたので、今度読んでみようと思っていた矢先で驚きました。
以前もピアノ調律師の小説「羊と鋼の森」が話題になりましたが、音楽をテーマにした文学には非常に興味をそそられます。

2017年1月18日水曜日

K.287(271h) ディヴェルティメント 変ロ長調 第1楽章

モーツァルトがマンハイム=パリ旅行に出発する前の1777年6月に書かれたディヴェルティメントを聴いてみます。
この曲はザルツブルクのロードゥロン伯爵夫人の依頼で作曲され、依頼者の名前を冠して「(第二)ロードゥロン・セレナーデ」の通称で呼ばれてもいます。モーツァルトはこの夫人のために他にも「ヘ長調のディヴェルティメン(K.247)」、「3台のピアノのための協奏曲(K.242)」も書いていますので、大切なスポンサーであったと思われます。
ホルン2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、バッソの楽器編成で、6楽章構成となっています。
この第1楽章は室内楽的な緊密さ、民謡に想を得た主題、第1ヴァイオリンの技巧的な扱いといった様々な要素が見事に調和しています。


ディヴェルティメント 変ロ長調 K.287(271h)/第1楽章 Allegro

2017年1月17日火曜日

K.266(271f) 弦楽三重奏曲 変ロ長調

「ジュノム」が書かれた同じ年(1777年)に作られたと推測される、珍しい三重奏曲を聴いてみます。
この小品の自筆譜には「ソナタ」が消されて「ディヴェルティメント」に、さらに消されて「ヴァイオリン2とバス(チェロ)のための三重奏曲」とそれぞれ別人の筆跡で書き直されているといいます。
何のために書かれたのかわかっていませんが、父レオポルトの作品を手本にして作られたようです。レオポルトは三重奏曲(ヴァイオリン2とチェロ)を多く作曲・出版していましたが、モーツァルトは同じ編成ではこの一曲しか残していません。 モーツァルトにとってこの編成の室内楽にはあまり創作意欲がわかなかったのかもしれません。
アダージョとメヌエットの2楽章から構成されていますが、今日はアダージョを聴いてみます。これと似た楽想は他の曲でも耳にします。


弦楽三重奏曲 変ロ長調 K.266/第1楽章 Adagio 変ロ長調

<写真>全国的な寒波にみまわれ、当地・新潟も一面の雪景色となりました。ここ最近ずっと暗い雪雲に覆われていましたが、15日の午前中は予期せぬ青空が顔を出しました。急いでカメラを持って上堰潟方面を撮影してきました。

余談・きらクラ! BGM選手権スペシャル
恒例の新年のスペシャル。今回もとても楽しく聞かせていただきました。
100回を超える歴史の中で、この企画がますます深化しているという感慨を抱きました。
特に印象に残ったのは、過去作品の中で『北国の春』とシューベルトは本当に感動的です。歌のイメージを離れて、この詩の持っている別の世界を見事に引き出しているように感じました。
また『青が争う夜のしずか』に選ばれた3曲はいずれも秀逸なもので、投稿者のセンス、選んだコダマッチさんにただただ脱帽です。
後半の菅原敏さんのお話も非常におもしろく、繊細で型にはまらない豊かな発想にまたまた脱帽。
そして『青が争う』というのは『静』の漢字の形から来ている…と聞いて初めて気がついた自分の鈍感さに絶帽(望)。
ふかわさんも最後のラジオネームでは、かなりテンション上げていたので、今年のきらクラ!も楽しみ満載!!!!!

2017年1月8日日曜日

K.271 ピアノ協奏曲(第9番) 変ホ長調「ジュノム」 第2楽章

第2楽章は一転して哀愁を帯びた ハ短調 アンダンティーノ。 モーツァルトの自作である5番以降のピアノ協奏曲で短調の楽章はこれが最初となります。 この楽章の憂愁さについて吉田秀和氏は「ある形をきちんと踏んだ上での憂愁さと言いますかね、そういうモーツァルトの様式的な憂愁美の典型的な作風がここで見られる」(モーツァルトその音楽と生涯 第3巻 P19)と述べています。 これ以降晩年にかけて、伝統的な様式を凌駕する名作ピアノ協奏曲の数々が生み出されていきます。


ピアノ協奏曲 変ホ長調「ジュノム」K.271/第2楽章 Andantino ハ短調

※この協奏曲の「ジュノム」という名称は、ケッヘル番号の第3版改訂時にアインシュタインがつけたのもで、その根拠は不明でした。その後、古文書の研究で「ジュノム」はモーツァルトの友人であるフランスの舞踏家、ジャン=ジョルジュ・ノヴェールの娘、ルイーズ・ヴィクトワール・ジュナミであることが判明したと、2004年オーストリアの音楽学者が発表したそうです。
 この研究発表後も「ジュナム」ではなく、従来の「ジュノム」が一般的に普及しています。

余談 コンサート・レポート
昨夜、小曽根真さんピアノ独奏でこの「ジュノム」を聴いてきました。オーケストラはNHK交響楽団、指揮は広上淳一氏。
注目のカデンツァですが、以前聴いたヴァージョンとは全く違った印象を受けました。
第1楽章は内省的な曲想と厚い響きでラフマニノフ風。第2楽章はフランス音楽のような優雅さと哀愁を漂わせていました。第3楽章は変化に富んだリズムやメロディーで多様な表現を楽しませてもらいました。
曲全体とカデンツァのバランスがとてもよく、収まりのいい仕上がりで十分楽しませていただきました。私的にいうなら、大気圏外ではなく成層圏のカデンツァでした。

ジャズピアニストでもオーケストラとの共演となると、当然好き勝手には出来なくて、指揮者の意向が第一になるのではないかと思います。
そうなると、独奏者と指揮者・オーケストラとの力関係が影響してくるように思いますが、その辺の内部事情は知る由もありません。先入観念かN響は「堅い」イメージがあり、小曽根さんとの相性はいかがなものなのでしょうか?

2006年に初めて聴いた時のオーケストラはポワトゥ=シャラント管弦楽団というフランスの臨時編成オーケストラでした。小曽根さんのカデンツァが始まると、楽団員が驚きとともに微笑みを湛えながら「のり」のいい演奏を展開して、私は打ちのめされるような衝撃と感動を味わいました。
今回の演奏は3回目という慣れもあるのか、余裕をもって受け止められましたが、心のどこかで「もっと激しいのが欲しい……」という声も聞こえてきました。

2017年1月7日土曜日

K.271 ピアノ協奏曲(第9番)変ホ長調「ジュノム」 第1楽章

今日はモーツァルトの初期のピアノ協奏曲の中で、人気の高い第9番「ジュノム」を聴いてみます。
この曲はザルツブルク時代に書かれたピアノ協奏曲の中で、最も完成度の高い作品といわれています。
1776年12月から翌年の1月にかけてザルツブルクを訪れていたフランスの女流クラヴィーア奏者であるジュノムのために書かれたため、この愛称がついています。ジュノムについての詳しいことはわかっていませんが、かなり高い技量があったことが、この作品をみるとわかります。
それまでのピアノ協奏曲からは一線を画した斬新でより成熟した手法で書かれていて、この第1楽章では、冒頭でオーケストラが和音を奏でると、直ちにピアノが応答するという当時としては異例の様式で、この手法はモーツァルトの全ピアノ協奏曲中唯一のものです。
その後のピアノとオーケストラの楽想の受け渡し、掛けあいは以前の作品に比べて非常に緊密になっていて、見事な曲想を展開しています。
全体に愛らしく活力に溢れた魅力的な協奏曲です。


ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 「ジュノム」K.271 /第1楽章 Allegro
※カデンツァ:W.A.Mozart (この演奏は下の記事の小曽根さんの演奏ではありません)

余談
この曲を聴くと、2006年に小曽根真さんの演奏を初めて聴いた時の衝撃と感動がよみがえります。
その時の拙文を再掲させていただきます。
小曽根さんの演奏は今まで2回聴きましたが、今夜3回目のコンサートが待っています。どんなカデンツァが鳴り響くのか楽しみでなりません。

<再掲:当ブログの旧バージョン2012年の記事>**
2006年ラ・フォル・ジュルネ東京
モーツァルト ピアノ協奏曲「ジュノム」
小曽根真ピアノ独奏

このカデンツァは・・・モーツァルトへの冒涜?? 衝撃の小曽根体験。

2006年のラ・フォル・ジュルネはモーツァルトファンにとっては夢のイベントでした。私も2泊3日で終日楽しみました。

「ジュノム」のチケットを取ったのは「この曲も生で聴いたことがないから聴いてみよう」という気楽な動機でした。恥ずかしながらその時には小曽根さんの名前すら知りませんでした。

当日会場に行ってみたら、なんか随分混んでいて、発売初日に予約した割には、随分後ろの席ではないですか。
プログラムを見たらピアニスト・・・ジャズピアニスト??? なんか場違いのところに来てしまったのかな・・・というやや後悔の念がよぎりました。一体どんな風にジャズピアニストがモーツァルトを弾くんだろう??

指揮棒が振り下ろされました。
オーケストラの前奏の後、すぐにピアノの演奏が始まりました。・・・・『ちゃんと弾いているじゃん。』いつもCDで聴いている心地よいモーツァルトのサウンドに酔いしれました。
しかし第1楽章のカデンツァが始った途端、一転して緊張が全身を貫きました。今まで聴いたこともない異質な音楽ではないですか。
カデンツァは結構長い時間続き、先に進むほど奔放なジャズを思わせる自由な演奏になって行きました。それはもう完全にモーツァルトの音楽世界ではありません。
・・・・・こんなモーツァルトは聴いたことがありません。
この演奏を受け入れるべきなのか、拒否するべきなのか、自分の中で葛藤していました。

そんな葛藤をよそに曲は進行し、長いカデンツァが終わり、モーツァルトの旋律に帰った途端、えもいわれぬ快感に包まれました。
「あー、モーツァルトに帰った・・・・。」

モーツァルトの音楽と、モーツァルトの世界とは異質のカデンツァが互いの特長を際立たせた融合の瞬間でした。

モーツァルトの音楽は美しい地上の緑であり花であり水の流れのようです。
小曽根さんのカデンツァは作曲者から許された自由な時間に、地上を離れてなんと大気圏外にまで遊びに行ってしまったのです。思いっきり遊んで無事に地上に帰還した時、飛行者は地上の美しさを再認識したのです。

私にとってとてつもない衝撃でした。

この大気圏外カデンツァは2楽章でも、3楽章でもイメージを変えながら演奏されました。
もうその頃には私の心はこの音楽を十分に受け入れ楽しむことができる態勢になっていました。

3楽章も終わりの頃、舞台の右上から演奏を笑顔で覗いてる大きなモーツァルトの顔が見えました。モーツァルトもこの演奏を喜んでいるんだとわかりました。
このカデンツァを受容できるモーツァルトの音楽は、驚くべき豊かな包容力に満ちています。

2017年1月5日木曜日

【謹賀新年】K.165(158a) モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

今年、最初の曲はモーツァルトが16歳の1773年1月に旅行中のイタリア・ミラノで作曲したモテット(※)です。
前年に作曲したオペラ『ルーチョ・シッラ』(K.135)で、主役を努めたカストラート歌手のラウツィーニのために作曲され、1月17日、ミラノのテアチノ教会で初演されました。
ラウツィーニは高度な歌唱力をもっていたようで、この曲ではすばやい音の動きや幅広い跳躍音程が要求されています。歌詞は「歌え、歓べ、おお、汝ら祝福された魂よ、甘き歌を歌いつつ。汝らの歌に応え、天もわれに和して歌う。」云々といった内容です。
全体的に宗教曲というより声部のソロをもったコンチェルト、あるいはオペラのアリアといった流麗、華麗な雰囲気に溢れた作品です。滞在していたイタリアで多くを吸収したであろうモーツァルトの才能が輝きを放っているようです。


モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」K.165(158a)/第1楽章 Allegro ヘ長調

※モテット:多声部による短い宗教合唱曲を指します。有名なのはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618

余談
猫たちとこたつで寝ていたら、あっという間に正月三箇日が過ぎてしまいました。
太平洋側の雲ひとつないような晴天とは対照的に、当地新潟は連日厚い雲に覆われています。
新潟市内に積雪はありません。年々温暖化しているのでしょうか?
今年も気ままな更新になるかと思いますが、お時間のある時、モーツァルトを音楽をのぞきにいらしてください。