2018年11月29日木曜日

K.466 ピアノ協奏曲(第20番)ニ短調/第3楽章

前楽章・ロマンス中間部で激しく奏でられた旋律の余韻を伝えるかのように、駆け上がる上昇音型のピアノの独奏で、この第3楽章は始まります。
アレグロ・アッサイ、ロンド・ソナタ形式で書かれています。全体的にニ短調の悲劇的な空気がみなぎっていますが、エピローグにかけて所々明るい旋律が姿を現します。
そして再現部、カデンツァを経てコーダでは長調に転換して、堂々と力強く全曲が結ばれます。
このコーダで長調に転換するところは、ロマン派の音楽ではあまりないように思いますが、そこはモーツァルトの聴衆への配慮があるように窺えます。
当時としてはかなり革新的で刺激の強いこの曲で、聴衆を悲劇的な印象のまま置き去りにしない、モーツァルトのプロ意識を垣間見る思いがします。自身の芸術的な衝動と、聴衆の嗜好とのバランスを取れるのも素晴らしい才能です。

ピアノ協奏曲(第20番)ニ短調 K.466/第3楽章 Allegro assai(Cadenzas:Ludwig von Beethoven)

余談
このK.466はよく知られているように、モーツァルトが短調で書いた2つのピアノ協奏曲の内の最初の1曲です。
これだけの革新的な新曲を発表するのですから、さぞ入念な準備がなされたと思われがちですが、実際は真逆であったようです。
ザルツブルクから訪れて、この初演に立ち会った父レオポルトの娘ナルネン宛ての手紙によると、この日の演奏会の当日になってもまだ写譜屋が楽譜を写している段階で、演奏の直前にようやく譜面が楽団員に渡るような状態だったようです。
ですから通して練習する時間もなく、殆んど初見で演奏したようです。それで聴衆を満足させる演奏だったというのですから、楽団員の能力の高さには驚愕します。

2018年11月28日水曜日

K.466 ピアノ協奏曲(第20番)ニ短調/第1楽章

弦のシンコペーションが静かに波打ち、暗欝な胸騒ぎを抱かせる流れに鋭く3連符の上昇音が切れ込み、一気に緊張感が高まる・・・そして独奏ピアノがニ短調の孤高の旋律を奏でながら登場する・・・この哀調を帯びた始まりの美しさには、何度聴いても心を奪われます。
作曲されたのはフリーメイソンに入会した翌年の1785年2月10日で、翌日の11日の予約演奏会でモーツァルト自身のピアノ演奏で初演されました。
当時の協奏曲は社交的で華麗な作風が一般的だった中で、この作品はデモーニッシュな要素を爆発させるような曲想で、全く新しい音楽の地平を開いたと言えると思います。
作曲に際してモーツァルトにどんな変化があったのかは推測するしかありませんが、内面的な何らかの衝動が彼を突き動かして、この曲の創作へと導いたのではないでしょうか。
記念碑的なこの作品は多くの人に愛され、ベートーヴェンもこの作品を愛奏し、第1楽章と第3楽章にカデンツァを残しています。(モーツァルト自身のカデンツァは、残念ながら残っていません。)
ここで聴く第1楽章は一般的なソナタ形式ですが、緻密な構成でピアノとオーケストラが一体化して壮大な交響的響きを生みだしています。

ピアノ協奏曲(第20番)ニ短調 K.466/第1楽章 Allegro (Cadenzas:Ludwig von Beethoven)
Link >> 第2楽章

余談ひふみんはモーツァルトがお好き
今週の「きらクラ!」では加藤一二三氏がゲストで出演され、本当に楽しく有意義な内容でした。
・名人戦の前にモーツァルトの戴冠式ミサを聴いて、肩の力が抜けてタイトルを取ることが出来た。
・対局の前にはモーツァルトを聴くことが多い。モーツァルトの音楽は「そのままでいいんだよ」というような安心感を与えてくれる。
・20連敗して苦しんだ時、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番を聴いて、「もう負けない」という確信的な自信が湧いた。
等々、同じくモーツァルトを愛する者にとって、我が意を得たりのお話の数々、本当に嬉しく感じました。
加藤氏もおしゃってましたが、モーツァルトの音楽には、その人本来のエネルギーを引き出してくれるような不思議な力があるように感じます。

2018年11月23日金曜日

K.429(468a) カンタータ「汝、宇宙の魂よ」(未完)

モーツァルトの作品の中にフリーメイソンに関する曲がいくつかあります。このフリーメイソンという組織は、ちょっと謎めいていて分かりづらいところがあります。
一般的には18世紀の初めイギリスで結成され、博愛・自由・平等の実現を目指す世界的友愛団体とされています。モーツァルトの周囲にも多くの名士・知識人が入会していて、彼の音楽活動を陰に陽に支援していたようです。
1784年の12月14日にモーツァルトはウィーンのフリーメイソンのロッジ(支部のような組織)「慈善」に入会します。このことはモーツァルトに少なからず影響を及ぼしと推測されます。
ここで聴くフリーメイソンのためのカンタータは、概ねこの時期に書かれたと考えられていますが、未完に終わっています。
第1曲はモーツァルトが残した歌声部・ヴァイオリン・バスの楽譜に、友人のシュタートラーが補筆したもので演奏されています。
男声合唱で宇宙の魂である太陽への堂々とした賛歌を謳い上げています。
【歌詞大意】第1曲
汝、宇宙の魂よ、おお太陽よ、今日この日、最初の祝祭歌を捧げん!
偉大なる者よ、汝なくして我ら生くことなし。
実り、熱、光は汝からのみ来る。
(作詞:ローレンツ・レオポルト・ハシュカ、訳詞:東京書籍「モーツァルト事典」より引用)


カンタータ「汝、宇宙の魂よ」K.429(468a)/第1曲 変ホ長調

余談
フリーメイソンからモーツァルトは様々な影響を受けたのではないかと考えられます。
この頃のモーツァルトの予約演奏会の会員は174名いたなかで、約40名がフリーメイソンの会員であったようです。また、晩年に金銭的に困窮した際にも会員がモーツァルトに援助の手を差し延べたようです。このように現実生活では多くの助けを受けた団体であったといえます。
さらに、この時期を境として、モーツァルトの音楽は一層の深化を遂げて、余人の達し得ない世界にまで高まったように感じるのは私だけでしょうか。
そんな楽曲の数々を、これから順次取り上げていこうと思っています。
なお、フリーメイソン〔Freemason]の表記は他にも、フリーメイスン、フリーメーソンなどがありますが、このブログでは「フリーメイソン」に統一させていただきます。

2018年11月9日金曜日

K.deest「後宮からの逃走」からのハルモニームジーク-2

「後宮からの逃走」の初演はウィーンのブルク劇場で1782年7月16日に行われました。
その初演の4日後にモーツァルトはザルツブルクの父宛の手紙に、このオペラが好評だったことや、陰謀によって公演が邪魔された事などを書き綴った後に、以下のように述べています。
「今は仕事を沢山かかえています。来週の日曜までに、ぼくのオペラを吹奏楽に編曲しなければなりません。でないと、だれかが先を越して、ぼくの代わりに儲けてしまいます。・・(略)・・
そんなようなものを吹奏楽に直すのが、どんなにむずかしいことか、お父さんには信じられないでしょう----吹奏楽にぴったり合って、それでいて効果が失われないようにするなんて。
そこで、夜はそのために使わなければなりません。そうでもしないと、どうにもなりません。・・・(以下略)」(岩波文庫「モーツァルトの手紙(下)」より)
モーツァルトが自立した音楽家としての基盤を築こうとする必死さが伝わってきます。
今日は同じ編曲版のハルモニームジークから、ブロンデの有名なアリア「こんな喜びは他にない」を聴いてみます。はじけるような生き生きとしたリズムが実に魅力的です。


「後宮からの逃走」からのハルモニームジーク/「こんな喜びは他にない」
Link >> 劇場演奏版

余談
当地も美しい紅葉の時期を迎えました。上の写真は今週の初めに撮影したもので、燃えるようなもみじに息を呑みました。
太平洋側と違って、日本海側の天気は既に冬を感じさせるもので、この時期は霙まじりの曇天の日が多く、晴天にはなかなか恵まれないのが残念です。

2018年11月7日水曜日

K.deest「後宮からの逃走」からのハルモニームジーク-1

1784年の11月17日に名作オペラ「後宮からの逃走」がザルツブルクで初演されました。ウィーンで大成功を収めているモーツァルトにとっては、故郷に錦を飾るイベントであったといえるでしょう。
今日はちょっと寄り道をして、このオペラの管楽合奏版を聴いてみます。
この頃のウィーンでは、人気オペラが管楽合奏用に編曲されることが流行していて、この作品もその中のひとつです。この他にもヴェントが手掛けた2つの「後宮からの逃走」編曲稿があります。
この作品にケッヘル番号が付いていない(deest)のは、モーツァルトの作とは考えられていなかったためですが、最近モーツァルト自身の筆によるものだという説が提起されましたが、真相はわかっていません。
楽器編成はオーボエ、クラニネット、ホルン、ファゴット各2本で、軽妙洒脱な旋律が生き生きと演奏されていて、心地よい音楽となっています。今日はまずその中の「序曲」を聴いてみます。

「後宮からの逃走」からのハルモニームジーク/序曲
 Link >> 劇場演奏版

<写真>新潟県村杉温泉「長生館」の庭園にて

余談
モーツァルトの時代の人々にとって、人気オペラの旋律を、このような形の管楽合奏に編曲したものを、演奏したり聴いたりすることは、身近で気軽な楽しみ方だったことでしょう。
現代のようにいつでもどこでも簡単に再生出来る時代と違って、手間暇のかかるぶん、音楽をいとおしむ気持ちは強かったのではないかと思います。