1773年3月、最後のイタリア旅行から帰郷したモーツァルトは、その年の7月から9月にかけてウィーンに旅行しました。
その時に書かれた弦楽四重奏曲を聴いてみます。
この曲集もミラノ四重奏曲集と同様に6曲からなっていて「ウィーン四重奏曲」と呼ばれています。6曲全て4楽章形式になっていて、主にハイドンの作品から刺激を受けて、ウィーン滞在中に書かれています。このK.170はそのウィーン四重奏曲の第3曲目にあたります。
この第1楽章は変奏曲形式になっていて、ウィーン風のディベルティメントの伝統を感じさせ、ゆったりした主題の旋律はハイドンの作品から模して、モーツァルトなりの工夫が施されています。
弦楽四重奏曲(第10番)ハ長調 K.170/第1楽章 Antante
<写真> ウィーン シェーンブルン宮殿の庭園
◆余談◆今週の「きらクラ!」
今回のBGM選手権は私にとっては超難問でまたまたお手上げ状態でした。
目に見える美し光景と対照的な心の陰を表現できるような音楽・・・・思いつきません。放送では光景を温かく描写したテレマンのフルート協奏曲がベストとなりました。
最後の真理さんの1曲、アルビノーニのアダージョの「今日も洗濯物乾かなかった」には笑ってしまいました。次回は再放送で、本放送はお休みのようです。・・・・残念。
2017年10月31日火曜日
2017年10月25日水曜日
K.159 弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調/第2楽章
第2楽章は一転してト短調のアレグロ。
内面的な激しい感情が溢れ出ているようなエネルギーに貫かれています。
3拍子のメヌエットのように始まり、展開部は20小節の推移的なものですが、全体は195小節に及び、ソナタ形式となっています。
父親もこれらの作品にはしっかり目を通しているはずですが、彼の目には旧来の様式からは外れた革新的(反抗的?)な作品に映ったのではないでしょうか。
「ト短調」という調性はモーツァルトの宿命の調性ともいわれますが、何かモーツァルトの本性にシンクロするような力強さで訴えかけてくるものがあります。
弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第2楽章 Allegro ト短調
<写真>オーストリア ハルシュタットの家並
◆余談◆
モーツァルトはこの「ミラノ四重奏曲集」の後に「ウィーン四重奏曲」、このブログでも何度か取り上げた有名な「ハイドン四重奏曲」、「ホフマイスター」、「プロイセン王四重奏曲」と番号のついているもので23曲の弦楽四重奏を残しています。
これらの作品も交響曲と同様に、先輩ハイドンの影響を受けながら、それらをさらなる高みに押し上げた作品群となっています。
内面的な激しい感情が溢れ出ているようなエネルギーに貫かれています。
3拍子のメヌエットのように始まり、展開部は20小節の推移的なものですが、全体は195小節に及び、ソナタ形式となっています。
父親もこれらの作品にはしっかり目を通しているはずですが、彼の目には旧来の様式からは外れた革新的(反抗的?)な作品に映ったのではないでしょうか。
「ト短調」という調性はモーツァルトの宿命の調性ともいわれますが、何かモーツァルトの本性にシンクロするような力強さで訴えかけてくるものがあります。
弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第2楽章 Allegro ト短調
<写真>オーストリア ハルシュタットの家並
◆余談◆
モーツァルトはこの「ミラノ四重奏曲集」の後に「ウィーン四重奏曲」、このブログでも何度か取り上げた有名な「ハイドン四重奏曲」、「ホフマイスター」、「プロイセン王四重奏曲」と番号のついているもので23曲の弦楽四重奏を残しています。
これらの作品も交響曲と同様に、先輩ハイドンの影響を受けながら、それらをさらなる高みに押し上げた作品群となっています。
2017年10月23日月曜日
K.159 弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調/第1楽章
1772年10月にモーツァルト父子は第3回のイタリア旅行に出かけ、ミラノに滞在します。
この時期に6曲(K.155~K.160)からなる弦楽四重奏曲を連作します。そしてこの曲集は1冊の自筆譜にまとめられてあることから「ミラノ四重奏曲集」と呼ばれています。
父親のザルツブルク宛ての手紙では「退屈しのぎに書いた」ものになっていますが、16歳のモーツァルトが様々な音楽的な可能性を試みているように思われます。
この曲集は全て3楽章構成で、この「変ロ長調」は連作の5作目にあたり、唯一緩徐楽章から始まります。
ここで聴く第1楽章は、第2ヴァイオリンが奏でる気品のある主題で始まり、ゆったりと歌うように流れる曲想がとても印象的です。
弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第1楽章 Andante
<写真>オーストリア ハルシュタット湖の水鳥たち
◆余談◆今日の「きらクラ!」
大型台風の接近で、放送途中に時々避難情報が入ったりして、ちょっと落ち着かない回になりました。最後のふかわさんの1曲で、モーツァルトの「音楽の冗談 K.522」の第4楽章が流れて、思わずニヤニヤしてしまいました。 実に遊び心に溢れたモーツァルトならではの作品で、いつかはこのブログでも取り上げるつもりです。
このように冗談で作った作品が、230年経った今でも真面目に演奏され愛されているということは、ただただモーツァルトの偉大さのなせることだと思います。普通の作曲家がこの曲を書いたとしても決して歴史には残らなかったと思います。
蛇足ですが、同じような事をビートルズの作品でも感じます。彼らは名曲も沢山残していますが、どうにも遊びまくった冗談のような曲も結構残していて、聴く者の心をほぐしてくれます。
この時期に6曲(K.155~K.160)からなる弦楽四重奏曲を連作します。そしてこの曲集は1冊の自筆譜にまとめられてあることから「ミラノ四重奏曲集」と呼ばれています。
父親のザルツブルク宛ての手紙では「退屈しのぎに書いた」ものになっていますが、16歳のモーツァルトが様々な音楽的な可能性を試みているように思われます。
この曲集は全て3楽章構成で、この「変ロ長調」は連作の5作目にあたり、唯一緩徐楽章から始まります。
ここで聴く第1楽章は、第2ヴァイオリンが奏でる気品のある主題で始まり、ゆったりと歌うように流れる曲想がとても印象的です。
弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第1楽章 Andante
<写真>オーストリア ハルシュタット湖の水鳥たち
◆余談◆今日の「きらクラ!」
大型台風の接近で、放送途中に時々避難情報が入ったりして、ちょっと落ち着かない回になりました。最後のふかわさんの1曲で、モーツァルトの「音楽の冗談 K.522」の第4楽章が流れて、思わずニヤニヤしてしまいました。 実に遊び心に溢れたモーツァルトならではの作品で、いつかはこのブログでも取り上げるつもりです。
このように冗談で作った作品が、230年経った今でも真面目に演奏され愛されているということは、ただただモーツァルトの偉大さのなせることだと思います。普通の作曲家がこの曲を書いたとしても決して歴史には残らなかったと思います。
蛇足ですが、同じような事をビートルズの作品でも感じます。彼らは名曲も沢山残していますが、どうにも遊びまくった冗談のような曲も結構残していて、聴く者の心をほぐしてくれます。
2017年10月20日金曜日
K.134 交響曲(第21番)イ長調
1771年から72年にかけての8つの交響曲の連作の最後の曲を聴いてみます。
この第21番 K.134 は弦楽と管楽器はフルート2、ホルン2の編成になっています。18番以降は管楽器の組み合わせをそれぞれ変えていて、作品の響きに特徴を持たせています。
この第1楽章は3/4拍子をとることによって、一般的な行進曲風や4/4拍子の開始とは違う新鮮な印象を与えています。またモーツァルトとしては珍しい単一主題的なソナタ形式をとっていて、最後には18小節のコーダを置いています。
連作の中で多様な作風を披露することで、新大司教にアピールしたのではないかと推測されますが、ちょうどこの頃、1772年8月21日付で宮廷の訓令があり、モーツァルトは宮廷楽団の無給の名誉職から、有給のコンツェルトマイスターに昇格し、年給150グルデンが支給されることとなります。
交響曲(第21番)イ長調 K.134/第1楽章 Allegro
<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿
◆余談◆
モーツァルトの交響曲は番号があるのは41番のジュピターまでですが、実際は50曲以上の交響曲を書いています。
同様に多作であったハイドンは約40年間で104曲の交響曲を残しています。
モーツァルトは9歳で無邪気な交響曲を書いてから25年後に39番、40番ト短調、41番「ジュピター」を完成させますが、その密度の濃い飛躍的な成熟のありさまは、ハイドンの40年間とは対照的な急峻な道のりであったように思われます。
この第21番 K.134 は弦楽と管楽器はフルート2、ホルン2の編成になっています。18番以降は管楽器の組み合わせをそれぞれ変えていて、作品の響きに特徴を持たせています。
この第1楽章は3/4拍子をとることによって、一般的な行進曲風や4/4拍子の開始とは違う新鮮な印象を与えています。またモーツァルトとしては珍しい単一主題的なソナタ形式をとっていて、最後には18小節のコーダを置いています。
連作の中で多様な作風を披露することで、新大司教にアピールしたのではないかと推測されますが、ちょうどこの頃、1772年8月21日付で宮廷の訓令があり、モーツァルトは宮廷楽団の無給の名誉職から、有給のコンツェルトマイスターに昇格し、年給150グルデンが支給されることとなります。
交響曲(第21番)イ長調 K.134/第1楽章 Allegro
<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿
◆余談◆
モーツァルトの交響曲は番号があるのは41番のジュピターまでですが、実際は50曲以上の交響曲を書いています。
同様に多作であったハイドンは約40年間で104曲の交響曲を残しています。
モーツァルトは9歳で無邪気な交響曲を書いてから25年後に39番、40番ト短調、41番「ジュピター」を完成させますが、その密度の濃い飛躍的な成熟のありさまは、ハイドンの40年間とは対照的な急峻な道のりであったように思われます。
2017年10月17日火曜日
K.130 交響曲(第18番)ヘ長調
モーツァルトが第2回目のイタリア旅行から帰って来た1771年12月に、寛大だったザルツブルク大司教のシュラッテンバッハが他界してしまいます。
後任のコロレド伯が翌年の3月に着任しますが、この時期にモーツァルトは8曲(第14番K.114~第21番K.134)もの交響曲を集中的に作曲しました。
この創作熱は新たに就任した大司教に自身の作曲能力を示すためと推測されますが、3回目のイタリア旅行に向けての新作の準備とも考えられます。
第18番の交響曲は豊かな楽想をいくつも含む作品で、モーツァルトの偉大な交響曲の第1作とみなす評論家もいます。
ここで聴く第1楽章はファンファーレなしに静かに始まり、前半のみが反復されるソナタ形式になっています。ハンガリーの民族音楽の影響とも思えるリズムをもっていて、モーツァルトの豊かな旅行体験が反映されています。
交響曲(第18番)ヘ長調 K.130/第1楽章 Allegro
<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿 水の庭園
◆余談◆
今の感覚でいうと、1年にも満たない期間に8曲もの交響曲を作ったというと驚いてしまいますが、モーツァルトの時代の「交響曲」の位置づけは今の時代とは随分と違っていて、オペラなどのメインの演目の序曲のような比較的軽い扱いだったそうです。
その交響曲をどんどん進化・発展させたモーツァルトは晩年の三大交響曲を生みだし、その歴史をベートーヴェン、ブラームス・・・・へと繋いでいきます。
後任のコロレド伯が翌年の3月に着任しますが、この時期にモーツァルトは8曲(第14番K.114~第21番K.134)もの交響曲を集中的に作曲しました。
この創作熱は新たに就任した大司教に自身の作曲能力を示すためと推測されますが、3回目のイタリア旅行に向けての新作の準備とも考えられます。
第18番の交響曲は豊かな楽想をいくつも含む作品で、モーツァルトの偉大な交響曲の第1作とみなす評論家もいます。
ここで聴く第1楽章はファンファーレなしに静かに始まり、前半のみが反復されるソナタ形式になっています。ハンガリーの民族音楽の影響とも思えるリズムをもっていて、モーツァルトの豊かな旅行体験が反映されています。
交響曲(第18番)ヘ長調 K.130/第1楽章 Allegro
<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿 水の庭園
◆余談◆
今の感覚でいうと、1年にも満たない期間に8曲もの交響曲を作ったというと驚いてしまいますが、モーツァルトの時代の「交響曲」の位置づけは今の時代とは随分と違っていて、オペラなどのメインの演目の序曲のような比較的軽い扱いだったそうです。
その交響曲をどんどん進化・発展させたモーツァルトは晩年の三大交響曲を生みだし、その歴史をベートーヴェン、ブラームス・・・・へと繋いでいきます。
2017年10月14日土曜日
K.137(125b) ディヴェルティメント 変ロ長調
今日はモーツァルトが17才の時にザルツブルクで書いたディベルティメントを聴いてみます。
このK.137はK.136、K.138とともにザルツブルク・シンフォニーとも呼ばれ、とても人気のある作品です。
ヴァイオリン2部、ビオラ、バスで演奏されますが、各パートの台数が明示されていないため、弦楽四重奏としても弦楽オーケストラとしても演奏されています。
3楽章形式で、この曲は第1楽章がアンダンテで始まる珍しい構成になっていますが、ここでは快活な第2楽章を弦楽オーケストラ版で聴いてみます。
2回のイタリア旅行の後に書かれたこの曲は、地中海の青空を連想させるような底抜けに明るく闊達な雰囲気に満ちあふれていてます。
ディヴェルティメント 変ロ長調 K.137(125b)/第2楽章 Allegro di molto
<写真>ザルツブルク マカルト橋からホーエンザルツブルク城を望む
◆余談◆
この曲の「ディヴェルティメント」という表記は、誰かがモーツァルトの楽譜に書き加えたものだそうです。(ディヴェルティメントの語源はイタリア語の「divertire(楽しい、面白い、気晴らし)」で、深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風であることが一般的。)
この曲集(K.136~138)の場合、メヌエット楽章がなく形式的には「オーボエとホルンのない弦楽器だけのシンフォニーである」とアインシュタインはいっています。
モーツァルトの時代は音楽のジャンルがはっきり分かれていなく、曖昧な面が多々あったようです。ジャンル分け自体あまり本質的な問題ではありませんが、モーツァルトの音楽を聴いていると交響曲なのかディベルティメントなのかセレナーデなのかわからないことがよくあります。
このK.137はK.136、K.138とともにザルツブルク・シンフォニーとも呼ばれ、とても人気のある作品です。
ヴァイオリン2部、ビオラ、バスで演奏されますが、各パートの台数が明示されていないため、弦楽四重奏としても弦楽オーケストラとしても演奏されています。
3楽章形式で、この曲は第1楽章がアンダンテで始まる珍しい構成になっていますが、ここでは快活な第2楽章を弦楽オーケストラ版で聴いてみます。
2回のイタリア旅行の後に書かれたこの曲は、地中海の青空を連想させるような底抜けに明るく闊達な雰囲気に満ちあふれていてます。
ディヴェルティメント 変ロ長調 K.137(125b)/第2楽章 Allegro di molto
<写真>ザルツブルク マカルト橋からホーエンザルツブルク城を望む
◆余談◆
この曲の「ディヴェルティメント」という表記は、誰かがモーツァルトの楽譜に書き加えたものだそうです。(ディヴェルティメントの語源はイタリア語の「divertire(楽しい、面白い、気晴らし)」で、深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風であることが一般的。)
この曲集(K.136~138)の場合、メヌエット楽章がなく形式的には「オーボエとホルンのない弦楽器だけのシンフォニーである」とアインシュタインはいっています。
モーツァルトの時代は音楽のジャンルがはっきり分かれていなく、曖昧な面が多々あったようです。ジャンル分け自体あまり本質的な問題ではありませんが、モーツァルトの音楽を聴いていると交響曲なのかディベルティメントなのかセレナーデなのかわからないことがよくあります。
2017年10月9日月曜日
K.222(205a) オッフェルトリウム「ミゼリコンディアス・ドミニ」 ニ短調
「雀ミサ」と同じ時期に書かれていて、ホモフォニックな前作とは対照的に対位法の技巧を駆使した曲を聴いてみます。
オッフェルトリウム(offertorium)とはカトリックのミサの奉納の儀、またそのあとに聖歌隊と会衆とによって交互に歌われる奉納唱のことをいいます。「ミゼリコンディアス・ドミニ(Misericordias Domini)」は「主の御憐れみを」という意味だそうです。
1771年イタリア旅行から帰ったモーツァルトは、自身の楽譜帳に書き写した多くの模範の研究によって対位法を深めようしていたようで、この作品はその成果ともとれます。ポリフォニックな合唱のハーモニーが教会音楽の荘厳な雰囲気を放っています。
また、この曲の中にベートーヴェンの第九「歓喜の歌」に似た旋律が何度か出てきて、ちょっと驚かされます。ベートーヴェンはこの曲からインスピレーションを受けていたのでしょうか……?
オッフェルトリウム「ミゼリコンディアス・ドミニ」 ニ短調 K.222(205a)
<写真>ザルツブルク 大聖堂の内部(高い天井と荘厳な雰囲気に満たされていました)
◆余談◆今日のきらクラ!
ふかわさんが帰ってきたきらクラ!
冒頭からくしゃみのことで笑わされました。ぶっつけ本番で収録しているのでしょうが、ふかわさんの即興的な対応力はすばらしいものがあります。真理さんはじめスタッフの皆さんの円滑な関係を垣間見るようでした。
BGM選手権は「関西弁に合う音楽……????」私は全面降参だったので、みなさんの音楽がとても楽しみでした。4曲採用されましたが、サティ以外は初めて聴く曲で、「なるほど……!!!」と感心するような選曲ばかりでした。ベストはソムリエ・コダマッチ氏推薦のサン=サーンス「死の舞踏」になりました。
最後の長めのラジネコールでお知り合いが何人か読まれて、うれしくなってしまいました。
次回は1週間空くから、枯れかけている脳細胞に水を与えて、なんか投稿するように頑張るぞ……!!!!
オッフェルトリウム(offertorium)とはカトリックのミサの奉納の儀、またそのあとに聖歌隊と会衆とによって交互に歌われる奉納唱のことをいいます。「ミゼリコンディアス・ドミニ(Misericordias Domini)」は「主の御憐れみを」という意味だそうです。
1771年イタリア旅行から帰ったモーツァルトは、自身の楽譜帳に書き写した多くの模範の研究によって対位法を深めようしていたようで、この作品はその成果ともとれます。ポリフォニックな合唱のハーモニーが教会音楽の荘厳な雰囲気を放っています。
また、この曲の中にベートーヴェンの第九「歓喜の歌」に似た旋律が何度か出てきて、ちょっと驚かされます。ベートーヴェンはこの曲からインスピレーションを受けていたのでしょうか……?
オッフェルトリウム「ミゼリコンディアス・ドミニ」 ニ短調 K.222(205a)
<写真>ザルツブルク 大聖堂の内部(高い天井と荘厳な雰囲気に満たされていました)
◆余談◆今日のきらクラ!
ふかわさんが帰ってきたきらクラ!
冒頭からくしゃみのことで笑わされました。ぶっつけ本番で収録しているのでしょうが、ふかわさんの即興的な対応力はすばらしいものがあります。真理さんはじめスタッフの皆さんの円滑な関係を垣間見るようでした。
BGM選手権は「関西弁に合う音楽……????」私は全面降参だったので、みなさんの音楽がとても楽しみでした。4曲採用されましたが、サティ以外は初めて聴く曲で、「なるほど……!!!」と感心するような選曲ばかりでした。ベストはソムリエ・コダマッチ氏推薦のサン=サーンス「死の舞踏」になりました。
最後の長めのラジネコールでお知り合いが何人か読まれて、うれしくなってしまいました。
次回は1週間空くから、枯れかけている脳細胞に水を与えて、なんか投稿するように頑張るぞ……!!!!
2017年10月8日日曜日
K.220(196b) ミサ・ブレヴィス ハ長調 「雀ミサ」
同じ時期、1775年頃に書かれた教会音楽を聴いてみます。
「ブレヴィス(brevis)」はラテン語で「短い、簡潔な」といった意味で、一般に「小ミサ」といわれます。
モーツァルトはザルツブルクの大司教の命令で15曲ほどのミサ曲を残していますが、その中でもこの曲は最も簡素化されているといわれています。
このことは、大司教が自身の取り仕切るミサの時間短縮を図っていたためで、曲自体は20分程の短い演奏時間で終わります。
「雀ミサ」という呼び名は、サンクトゥス、ベネディクトゥスに現れるヴァイオリンの鋭い音型が雀のさえずりに似ていることからつけられました。
あのアインシュタインは「最も気の抜けた、あまりにもザルツブルク的な教会作品」だと散々な評価をしていますが、ホモフォニックな手法でわかりやすく、親しみやすい作品になっています。ここでは、5曲目のベネディクトゥスを聴いてみます。
ミサ・ブレヴィス ハ長調 K.220(196b)/5-ベネディクトゥス Andante
<写真>ザルツブルク 大聖堂正面
◆余談◆
写真のザルツブルク大聖堂は774年に創建され、12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、17世紀にバロック様式で建て直されたものです。
モーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者もつとめ、そして多くの彼の教会音楽はここで演奏されました。長い長い歴史が刻まれています。
「ブレヴィス(brevis)」はラテン語で「短い、簡潔な」といった意味で、一般に「小ミサ」といわれます。
モーツァルトはザルツブルクの大司教の命令で15曲ほどのミサ曲を残していますが、その中でもこの曲は最も簡素化されているといわれています。
このことは、大司教が自身の取り仕切るミサの時間短縮を図っていたためで、曲自体は20分程の短い演奏時間で終わります。
「雀ミサ」という呼び名は、サンクトゥス、ベネディクトゥスに現れるヴァイオリンの鋭い音型が雀のさえずりに似ていることからつけられました。
あのアインシュタインは「最も気の抜けた、あまりにもザルツブルク的な教会作品」だと散々な評価をしていますが、ホモフォニックな手法でわかりやすく、親しみやすい作品になっています。ここでは、5曲目のベネディクトゥスを聴いてみます。
ミサ・ブレヴィス ハ長調 K.220(196b)/5-ベネディクトゥス Andante
<写真>ザルツブルク 大聖堂正面
◆余談◆
写真のザルツブルク大聖堂は774年に創建され、12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、17世紀にバロック様式で建て直されたものです。
モーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者もつとめ、そして多くの彼の教会音楽はここで演奏されました。長い長い歴史が刻まれています。
2017年10月2日月曜日
K.213 ディヴェルティメント ヘ長調
オーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本の管楽六重奏のディヴェルティメントを聴いてみます。
この楽器の組み合わせのディヴェルティメントを、モーツァルトは1775年から5曲連作します。
今までいくつ取り上げてきましたが、この曲はその連作の最初にあたります。おそらくザルツブルクの宮廷のターフェルムジーク(食卓音楽)として書かれたと思われています。
ここで聴く第1楽章は精妙に変化を加えた再現部を伴う、小さなソナタ形式になっていますが、大司教をはじめとする宮廷の方々のBGMとして、心地よいハーモニーに彩られています。
ディヴェルティメント ヘ長調 K.213 /第1楽章 Allegro spirituoso
<写真>新潟市西蒲区 上堰潟公園のコスモス(10月1日撮影)
◆余談◆
今回の「きらクラ Don!」は久しぶりのモーツァルトの曲でした。
先週聴いた時、この演奏は誰だろう・・・・と手持ちの何枚かのCDで聴き比べてみましたが、微妙な違いがあり、演奏者を特定することは出来ませんでした。 放送でウィルヘルム・ケンプ氏のピアノとわかりました(私はこのCDは持っていません)。響きに存在感のある温かさを感じました。
そしてリスナーの方々の投稿で、この第2楽章はバレエ、映画音楽、テレビ番組等、様々な場面で使われていると知りました。モーツァルトの数ある名曲の中でも最も有名な旋律のひとつといえるかも知りません。
私は流れるような第1楽章が特に好きです。
この楽器の組み合わせのディヴェルティメントを、モーツァルトは1775年から5曲連作します。
今までいくつ取り上げてきましたが、この曲はその連作の最初にあたります。おそらくザルツブルクの宮廷のターフェルムジーク(食卓音楽)として書かれたと思われています。
ここで聴く第1楽章は精妙に変化を加えた再現部を伴う、小さなソナタ形式になっていますが、大司教をはじめとする宮廷の方々のBGMとして、心地よいハーモニーに彩られています。
ディヴェルティメント ヘ長調 K.213 /第1楽章 Allegro spirituoso
<写真>新潟市西蒲区 上堰潟公園のコスモス(10月1日撮影)
◆余談◆
今回の「きらクラ Don!」は久しぶりのモーツァルトの曲でした。
先週聴いた時、この演奏は誰だろう・・・・と手持ちの何枚かのCDで聴き比べてみましたが、微妙な違いがあり、演奏者を特定することは出来ませんでした。 放送でウィルヘルム・ケンプ氏のピアノとわかりました(私はこのCDは持っていません)。響きに存在感のある温かさを感じました。
そしてリスナーの方々の投稿で、この第2楽章はバレエ、映画音楽、テレビ番組等、様々な場面で使われていると知りました。モーツァルトの数ある名曲の中でも最も有名な旋律のひとつといえるかも知りません。
私は流れるような第1楽章が特に好きです。
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