しばらくピアノ曲が続きましたので、今日は初期の弦楽四重奏曲を聴いてみます。
この作品は、1773年(モーツァルト17歳)にウィーンを訪れた際に書かれた、6曲に及ぶ通称ウィーン四重奏曲の第1曲です。
ハイドンから受けた強い影響下で、自分の音楽を作り出そうとするモーツァルトの様々な試みがなされいます。
このK.168の第1楽章は不規則なフレーズ構成を持ち、そこで使用されているモティーフもややつぎはぎ的に感じられますが、楽章全体でこれらのモティーフの統一を試みていて、作品ごとに進化するモーツァルトの姿勢を感じさせます。
そしてこの約10年後には、名作「ハイドン・セット」を生みだすことになります。
弦楽四重奏曲(第8番)ヘ長調 K.168/第1楽章 Allegro
◆余談◆今週の「きらクラ!」
暫く続いた「空耳」から解放されて、通常のきらクラ!に戻りました。
先週の「うたたねクラシック」の話題がありましたが、ずいぶん楽しそうでした。ふかわさんのブログにも載っていますが、ふかわさんがパジャマ姿でMCやるなんて、凄く斬新!!! こういう肩の凝らない企画が、敷居が高いといわれるクラシック音楽をより親しみやすくしますよね。
そして、今度の日曜日は水戸で公開収録です。私も応募しようと思いましたが、日程的に無理があるので断念しました。
その水戸でのBGMのお題が「水戸黄門」の主題歌なんて、これまた斬新!! 詩としては短かめですが、人生の応援歌的な内容で、また素晴らしい音楽が付くように思います。
2018年5月29日火曜日
2018年5月25日金曜日
K.332(300k) ピアノ・ソナタ(第12番)ヘ長調
1783年に書かれた一連のピアノ・ソナタを取り上げて来ましたが、最後はこのへ長調のソナタを聴いてみます。
先立つ2曲(K.330、K.331)に比べるとやや地味な印象がありますが、旋律的で豊かな楽想と、長調と短調の突然の交替よってもたらされるコントラストが際立っていて、非常に充実した作品として高く評価されています。
ここで聴く第2楽章はアダージョ 変ロ長調で、陰影に富んだきわめて美しい旋律を歌います。A-B-A-Bの二部形式になっていて、後半部分の細かく華麗な装飾音は自筆譜にはなく、楽譜出版の際にモーツァルトが書き加えたものと思われています。
ピアノ・ソナタ(第12番)ヘ長調 K.332(300k)/第2楽章 Adagio 変ロ長調
<写真>西蒲区夏井の水田風景・田植え後の稲がスクスクと育っていました。(5月24日撮影)
◆余談◆
長らく更新が滞っておりました。
ようやく1783年のピアノ・ソナタ作品群も最期を迎えました。
このK.332の第1、第3楽章もとても変化に富んで魅力的なのですが割愛させていただきました。
K.330~K.333の4つのソナタをモーツァルトは短期間で書いたと思われますが、それぞれの個性が輝く多様な作風には脱帽します。次から次へ新しい楽想が天からモーツァルトに降り注いでいるように思ってしまいます。
先立つ2曲(K.330、K.331)に比べるとやや地味な印象がありますが、旋律的で豊かな楽想と、長調と短調の突然の交替よってもたらされるコントラストが際立っていて、非常に充実した作品として高く評価されています。
ここで聴く第2楽章はアダージョ 変ロ長調で、陰影に富んだきわめて美しい旋律を歌います。A-B-A-Bの二部形式になっていて、後半部分の細かく華麗な装飾音は自筆譜にはなく、楽譜出版の際にモーツァルトが書き加えたものと思われています。
ピアノ・ソナタ(第12番)ヘ長調 K.332(300k)/第2楽章 Adagio 変ロ長調
<写真>西蒲区夏井の水田風景・田植え後の稲がスクスクと育っていました。(5月24日撮影)
◆余談◆
長らく更新が滞っておりました。
ようやく1783年のピアノ・ソナタ作品群も最期を迎えました。
このK.332の第1、第3楽章もとても変化に富んで魅力的なのですが割愛させていただきました。
K.330~K.333の4つのソナタをモーツァルトは短期間で書いたと思われますが、それぞれの個性が輝く多様な作風には脱帽します。次から次へ新しい楽想が天からモーツァルトに降り注いでいるように思ってしまいます。
2018年5月8日火曜日
K.331(300i) ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調/第3楽章
第3楽章は有名な『トルコ行進曲』です。
アラ・トゥルカ(トルコ風)とは、トルコの軍隊風にということで、第1拍に強烈なアクセントを置いたリズムを指していると思われます。
当時オスマン・トルコは、バルカン半島を越えハンガリーのあたりまで支配下に置いていて、ウィーンの人々にとっては脅威であると同時に、異国文化として興味の的であったと考えられます。
モーツァルトもトルコを舞台としたオペラ『後宮からの逃走』を作曲した後にこのソナタを書き、異文化に対する関心を示しています。
この楽章のみ主調が短調で、中間部に長調部分を持つ複合3部形式をとっています。
ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調 K.331(300i)/第3楽章 Alla turca, Allegretto イ短調
<写真>新潟県五泉市のチューリップ畑
また、このような音楽祭に参加するに際して、貪欲にチケットを取るのはいいのですが、結局体力的に後半はきつくなるのが常でした。今回はかなりセーブして公演を絞ったのですが、それでも常に人ごみの中での集中力の維持は大変でした。特に単独行で知ってる人に一人として会わないという、アウェイ感一杯の中での鑑賞は孤独感も疲労に拍車をかけました。
そんな中で、その疲労感を吹き飛ばした公演の事を書きたいと思います。
■刺激的な爆演だったモーツアルテウムの交響曲第39番
先回も述べましたように、ヘンリック・シェーファー指揮ザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団(MOS)は、ビブラートを殆んどかけない、ピリオド奏法の演奏のように聞えました。
初日にこのオケでアイネ・クライネを聴いた時(指揮はリッカルド・ミナーシ)にすごく驚きました。輪郭のはっきりした響きで、強弱のめりはり、テンポのめりはりをことさら強調させているように感じました。その演奏のゾーンに入れば、それはそれで非常に楽しめるものではないかと思いますが、慣れるまでは少し抵抗があります。
集中力の途切れかけた2日目の4つ目の公演で、このオケで交響曲第39番を聴きました。座席の上で半分眠りながら演奏を聴いていたら「このオケと39番の相性は凄くいいのではないか・・」との思いが突然湧きあがり、俄然目を覚ましました。特にメヌエット楽章は必聴だと思いながら、その第3楽章が始まりました。予想通りのアップテンポでめりはりの効いた素晴らしいリズム感が楽章を支配し、正にのりのりの演奏で体中の血液が躍りだしました。
興奮冷めやらぬうちに始まった、最終楽章。これは物凄かった!! あの極端にテンポを揺らす演奏が「ど・ストライクゾーン」に入るのです。正に爆演!!音楽の爆発を目の前にする興奮に打ちのめされました。こんなにエキサイティングな音楽を聴いたのは何年ぶりだろう。この演奏を聴けただけでもこの音楽祭に来た価値はありました。
帰りにこのCDを買おうと売り場に行ったら、売り子の方が、同じ質問を何度もされてうんざりした様子で、この演奏のCDは出てないとのことを告げられました。残念です。
■アマデウス室内オーケストラの広範なエンターテイメント
最終日の最後に聴く公演に、アマデウス室内オーケストラ(ACO)とシン・ヒョンスのヴァイオリン協奏曲第3番を聴きました。
ヒョンスさんの演奏は10年近く前に2度ほど聴いていて、その美しい響きと容姿に魅了された記憶があります。
2曲目に舞台に現れたヒョンスさんを見てびっくり!メイクのせいか、以前と顔が変わった印象を受けて戸惑いました。演奏は相変わらず繊細で美しく、まるでお姫様が天上界の音楽を奏でているような、夢心地の気分になりました。
ACOはオーケストラ・アンサンブル金沢より小編成で第1ヴァイオリンは5名程だったと思います。それだけにアンサンブルは緻密で、その優雅さに魅了されました。管楽器は邦人のエキストラが加わったようでした。
このオケの驚きは3曲目に待っていました。地元ポーランドの作曲家キラールが1986年に書いたという「オラヴァ」という初めて聴く曲でした。簡潔な機関車のようなリズムを刻んで始まった曲は、うねるようなダイナミックな変奏を繰り返しながら盛り上がり、今まで耳にしたことのないような独自のハーモニーの世界を展開しすっかり心を持っていかれました。
世の中にはまだ知らない魅力的な音楽が一杯あるんだ・・という思いを後に満足感一杯で帰路に就きました。関係者の皆様、本当に素晴らしい企画をありがとうございました。
アラ・トゥルカ(トルコ風)とは、トルコの軍隊風にということで、第1拍に強烈なアクセントを置いたリズムを指していると思われます。
当時オスマン・トルコは、バルカン半島を越えハンガリーのあたりまで支配下に置いていて、ウィーンの人々にとっては脅威であると同時に、異国文化として興味の的であったと考えられます。
モーツァルトもトルコを舞台としたオペラ『後宮からの逃走』を作曲した後にこのソナタを書き、異文化に対する関心を示しています。
この楽章のみ主調が短調で、中間部に長調部分を持つ複合3部形式をとっています。
ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調 K.331(300i)/第3楽章 Alla turca, Allegretto イ短調
<写真>新潟県五泉市のチューリップ畑
◆◆金沢・風と緑の楽都音楽祭2018 見聞録(下)◆◆
私にとってモーツァルトをテーマとするこのような音楽祭に参加したのは4回目になります。1回目はラ・フォル・ジュルネ東京2006年(生誕250年記念)、2回目はラ・フォル・ジュルネ金沢2009年、3回目は地元でラ・フォル・ジュルネ新潟2013年です。いずれも同じ音楽事務所の企画になるため、内容は似たものも多かったので、今回の金沢は違う音楽事務所のアーティストが主体のためとても新鮮でした。また、このような音楽祭に参加するに際して、貪欲にチケットを取るのはいいのですが、結局体力的に後半はきつくなるのが常でした。今回はかなりセーブして公演を絞ったのですが、それでも常に人ごみの中での集中力の維持は大変でした。特に単独行で知ってる人に一人として会わないという、アウェイ感一杯の中での鑑賞は孤独感も疲労に拍車をかけました。
そんな中で、その疲労感を吹き飛ばした公演の事を書きたいと思います。
■刺激的な爆演だったモーツアルテウムの交響曲第39番
先回も述べましたように、ヘンリック・シェーファー指揮ザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団(MOS)は、ビブラートを殆んどかけない、ピリオド奏法の演奏のように聞えました。
初日にこのオケでアイネ・クライネを聴いた時(指揮はリッカルド・ミナーシ)にすごく驚きました。輪郭のはっきりした響きで、強弱のめりはり、テンポのめりはりをことさら強調させているように感じました。その演奏のゾーンに入れば、それはそれで非常に楽しめるものではないかと思いますが、慣れるまでは少し抵抗があります。
集中力の途切れかけた2日目の4つ目の公演で、このオケで交響曲第39番を聴きました。座席の上で半分眠りながら演奏を聴いていたら「このオケと39番の相性は凄くいいのではないか・・」との思いが突然湧きあがり、俄然目を覚ましました。特にメヌエット楽章は必聴だと思いながら、その第3楽章が始まりました。予想通りのアップテンポでめりはりの効いた素晴らしいリズム感が楽章を支配し、正にのりのりの演奏で体中の血液が躍りだしました。
興奮冷めやらぬうちに始まった、最終楽章。これは物凄かった!! あの極端にテンポを揺らす演奏が「ど・ストライクゾーン」に入るのです。正に爆演!!音楽の爆発を目の前にする興奮に打ちのめされました。こんなにエキサイティングな音楽を聴いたのは何年ぶりだろう。この演奏を聴けただけでもこの音楽祭に来た価値はありました。
帰りにこのCDを買おうと売り場に行ったら、売り子の方が、同じ質問を何度もされてうんざりした様子で、この演奏のCDは出てないとのことを告げられました。残念です。
■アマデウス室内オーケストラの広範なエンターテイメント
最終日の最後に聴く公演に、アマデウス室内オーケストラ(ACO)とシン・ヒョンスのヴァイオリン協奏曲第3番を聴きました。
ヒョンスさんの演奏は10年近く前に2度ほど聴いていて、その美しい響きと容姿に魅了された記憶があります。
2曲目に舞台に現れたヒョンスさんを見てびっくり!メイクのせいか、以前と顔が変わった印象を受けて戸惑いました。演奏は相変わらず繊細で美しく、まるでお姫様が天上界の音楽を奏でているような、夢心地の気分になりました。
ACOはオーケストラ・アンサンブル金沢より小編成で第1ヴァイオリンは5名程だったと思います。それだけにアンサンブルは緻密で、その優雅さに魅了されました。管楽器は邦人のエキストラが加わったようでした。
このオケの驚きは3曲目に待っていました。地元ポーランドの作曲家キラールが1986年に書いたという「オラヴァ」という初めて聴く曲でした。簡潔な機関車のようなリズムを刻んで始まった曲は、うねるようなダイナミックな変奏を繰り返しながら盛り上がり、今まで耳にしたことのないような独自のハーモニーの世界を展開しすっかり心を持っていかれました。
世の中にはまだ知らない魅力的な音楽が一杯あるんだ・・という思いを後に満足感一杯で帰路に就きました。関係者の皆様、本当に素晴らしい企画をありがとうございました。
2018年5月7日月曜日
K.331(300i) ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調/第1楽章
『トルコ行進曲付き』の名前で広く親しまれてソナタです。とはいえ、楽章構成からすると通常のソナタからは例外的な存在となっています。
この第1楽章がアンダンテの変奏で始まり、中間楽章がメヌエットで、最後が「トルコ風」という個性的な楽章構成になっていますが、聴いてみると実に自然な流れで、全く違和感を感じない美しく快活な作品に仕上がっています。
ここで聴く第1楽章は、主題と6つの変奏からなり、主題は8分の6拍子の舟唄風のゆったりしたリズムをもっています。第3変奏はイ短調、第5変奏ではアダージョとなり、最後はアレグロの第6変奏で明るく楽章を締めくくります。
ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調 K.331(300i)/第1楽章 Andante grazioso 6/8 主題と6変奏
3月に今回の企画が発表されて時点で、その豪華なアーティスト達に目を見張りました。 1地方都市でこれだけ国際的なアーティストを集めて、これだけの規模で音楽祭を開催できる石川県・金沢市の都市力、多くのボランティアを含む人材力に敬意を表します。本当に素晴らしいことだと思います。
私は全11公演を聴かせていただきました。その中でいくつかの印象的な演奏を取り上げさせていただきます。
■アシュケナージ指揮+辻井伸行ピアノ+OEK
今回の音楽祭で最も注目したのは、ウラディーミル・アシュケナージ指揮、辻井伸行ピアノ、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のピアノ協奏曲第21番、第26番でした。 アシュケナージは以前フィルハーモニア管弦楽団との弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲全集を出していて、それは私の愛聴盤になっています。(正直彼の弾き振りを聴きたくもありましたが、80歳という年齢を考慮すると叶わぬ夢のようです)
実際の演奏を聴いてみて、期待に違わぬ名演でありました。
まずOEKの音色がとても美しく、ピアノ独奏に優しく寄り添ったアンサンブルは、控えめながら気品を感じさせる見事なものでした。
そして辻井さんのピアノの響きは、以前聴いて心を動かされた感動が甦る、柔らかく繊細なタッチで至福感に包まれました。
安心して身を委ねられる演奏で、それもこれも全体を見事にまとめた、アシュケナージ氏の手腕あってのものと思いました。
余談ですが、辻井さんは『ハンディを乗り越えて、こんなに素晴らしい演奏をする』といった目で見られる時期はとうに過ぎたかと思います。これからは一人のピアニストとして、辻井さんの(楽譜を介さない)独自の世界で音楽と向き合って、その感性により磨きをかけて私たちに聴かせてもらえればと祈っています。
老婆心ながら辻井さん忙しいスケジュールを見ていると、どうか体を壊さないように、健康第一で研鑽を積んでください、と心からお祈りします。
■多彩なソリストのピアノ協奏曲
辻井さん以外にも、今回の音楽祭では多彩なソリストが名を連ね、同じ会場の(多分)同じピアノ(スタインウェイ)で聴き比べ出来たことも大きな収穫でした。
20番=モナ・飛鳥、ザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団(MOS:Moarteum Orchestra Salzburg)
22番=菊池洋子、MOS
23番=三浦友理枝、MOS
24番=田嶋睦子(地元・石川のピアニスト)、MOS
以上の4曲を聴くことができました。全てオケはザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団でしたが、このオケはピリオド奏法のようにビブラートを殆んどかけない奏法で、音の輪郭がシャープ、言い方によっては痩せた音で、最初耳にした時はちょっと違和感を感じましたが、切れのあるリズム感で、強い推進力を発揮する演奏でした。
音に溜めをつくって旋律を朗々と歌わせるタイプのソリストにとっては、MOSはやり辛いオケではなかったかと思いました。実際テンポ感でオケとせめぎ合うような場面もあったように思いました。
また、それぞれのソリストの音を身近で聴いていると、同じピアノがソリストによって表情を変えるのが手に取るように分かり、大変興味深いものでした。このような音楽祭ならではの醍醐味でした。
■菊池洋子さんの存在感溢れる演奏
協奏曲の中で、指揮者、ソリスト、オーケストラの立ち位置の関係は様々な形があると思いますが、私はソリストが主導権を発揮する演奏が圧倒的に好きです。ソリストの感性のままにオケを引っ張って行くような演奏に心は燃えます。
そんな中で、私が最も印象深かったピアニストは、菊池洋子さんでした。
個性的なMOSと互角に渡り合い、むしろ主導権を取っていると感じさせる「男前」な演奏でした。ピアニシモの繊細なタッチから、堂々たるフォルテまで、ダイナミック・レンジの広い演奏は、22番の規模の大きな交響的構築をもった曲との相性も抜群でした。
菊池さんは海外での演奏機会も多いようで、MOSとの共演もあったようです。そのような多くの場数を踏んだ安定感・存在感は、音楽に生き生きとした生命力をもたらしました。
驚くことに菊池さんはフォルテピアノも演奏されていて、最終日のフォルテピアノによるソナタ、変奏曲も聴かせていただきましたが、現代のピアノとは別世界の音楽を聴くことができました。機構の違う2種類の楽器を弾きこなすなんて、生易しいことではないと思うのですが・・・。とにかくまた聴いてみたいと思わせる魅力溢れるピアニストでした。
この第1楽章がアンダンテの変奏で始まり、中間楽章がメヌエットで、最後が「トルコ風」という個性的な楽章構成になっていますが、聴いてみると実に自然な流れで、全く違和感を感じない美しく快活な作品に仕上がっています。
ここで聴く第1楽章は、主題と6つの変奏からなり、主題は8分の6拍子の舟唄風のゆったりしたリズムをもっています。第3変奏はイ短調、第5変奏ではアダージョとなり、最後はアレグロの第6変奏で明るく楽章を締めくくります。
ピアノ・ソナタ(第11番)イ長調 K.331(300i)/第1楽章 Andante grazioso 6/8 主題と6変奏
◆◆金沢・風と緑の楽都音楽祭2018 見聞録(上)◆◆
5月3日~5日の2泊3日で金沢の音楽祭でモーツァルトを堪能させていただきました。
ここにその簡単な感想を書かせていただきます。音楽のド素人である私が、名立たるアーティストの演奏に感想を述べるなど全くおこがましいことですが、拙い個人的備忘録と一笑に付してください。3月に今回の企画が発表されて時点で、その豪華なアーティスト達に目を見張りました。 1地方都市でこれだけ国際的なアーティストを集めて、これだけの規模で音楽祭を開催できる石川県・金沢市の都市力、多くのボランティアを含む人材力に敬意を表します。本当に素晴らしいことだと思います。
私は全11公演を聴かせていただきました。その中でいくつかの印象的な演奏を取り上げさせていただきます。
■アシュケナージ指揮+辻井伸行ピアノ+OEK
今回の音楽祭で最も注目したのは、ウラディーミル・アシュケナージ指揮、辻井伸行ピアノ、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のピアノ協奏曲第21番、第26番でした。 アシュケナージは以前フィルハーモニア管弦楽団との弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲全集を出していて、それは私の愛聴盤になっています。(正直彼の弾き振りを聴きたくもありましたが、80歳という年齢を考慮すると叶わぬ夢のようです)
実際の演奏を聴いてみて、期待に違わぬ名演でありました。
まずOEKの音色がとても美しく、ピアノ独奏に優しく寄り添ったアンサンブルは、控えめながら気品を感じさせる見事なものでした。
そして辻井さんのピアノの響きは、以前聴いて心を動かされた感動が甦る、柔らかく繊細なタッチで至福感に包まれました。
安心して身を委ねられる演奏で、それもこれも全体を見事にまとめた、アシュケナージ氏の手腕あってのものと思いました。
余談ですが、辻井さんは『ハンディを乗り越えて、こんなに素晴らしい演奏をする』といった目で見られる時期はとうに過ぎたかと思います。これからは一人のピアニストとして、辻井さんの(楽譜を介さない)独自の世界で音楽と向き合って、その感性により磨きをかけて私たちに聴かせてもらえればと祈っています。
老婆心ながら辻井さん忙しいスケジュールを見ていると、どうか体を壊さないように、健康第一で研鑽を積んでください、と心からお祈りします。
■多彩なソリストのピアノ協奏曲
辻井さん以外にも、今回の音楽祭では多彩なソリストが名を連ね、同じ会場の(多分)同じピアノ(スタインウェイ)で聴き比べ出来たことも大きな収穫でした。
20番=モナ・飛鳥、ザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団(MOS:Moarteum Orchestra Salzburg)
22番=菊池洋子、MOS
23番=三浦友理枝、MOS
24番=田嶋睦子(地元・石川のピアニスト)、MOS
以上の4曲を聴くことができました。全てオケはザルツブルク・モーツアルテイム管弦楽団でしたが、このオケはピリオド奏法のようにビブラートを殆んどかけない奏法で、音の輪郭がシャープ、言い方によっては痩せた音で、最初耳にした時はちょっと違和感を感じましたが、切れのあるリズム感で、強い推進力を発揮する演奏でした。
音に溜めをつくって旋律を朗々と歌わせるタイプのソリストにとっては、MOSはやり辛いオケではなかったかと思いました。実際テンポ感でオケとせめぎ合うような場面もあったように思いました。
また、それぞれのソリストの音を身近で聴いていると、同じピアノがソリストによって表情を変えるのが手に取るように分かり、大変興味深いものでした。このような音楽祭ならではの醍醐味でした。
■菊池洋子さんの存在感溢れる演奏
協奏曲の中で、指揮者、ソリスト、オーケストラの立ち位置の関係は様々な形があると思いますが、私はソリストが主導権を発揮する演奏が圧倒的に好きです。ソリストの感性のままにオケを引っ張って行くような演奏に心は燃えます。
そんな中で、私が最も印象深かったピアニストは、菊池洋子さんでした。
個性的なMOSと互角に渡り合い、むしろ主導権を取っていると感じさせる「男前」な演奏でした。ピアニシモの繊細なタッチから、堂々たるフォルテまで、ダイナミック・レンジの広い演奏は、22番の規模の大きな交響的構築をもった曲との相性も抜群でした。
菊池さんは海外での演奏機会も多いようで、MOSとの共演もあったようです。そのような多くの場数を踏んだ安定感・存在感は、音楽に生き生きとした生命力をもたらしました。
驚くことに菊池さんはフォルテピアノも演奏されていて、最終日のフォルテピアノによるソナタ、変奏曲も聴かせていただきましたが、現代のピアノとは別世界の音楽を聴くことができました。機構の違う2種類の楽器を弾きこなすなんて、生易しいことではないと思うのですが・・・。とにかくまた聴いてみたいと思わせる魅力溢れるピアニストでした。
2018年5月2日水曜日
K.330(300h) ピアノ・ソナタ(第10番)ハ長調/第3楽章
これから取り上げる3曲のピアノ・ソナタ(K.330、K.331、K332)はK.333と同様に、1783年に書かれた作品で、この3曲は翌年の1784年にウィーンのアルターリア社から出版されています。
それぞれのソナタは短期間書かれているにもかかわらず、互いに異なった特異性を備えていて、とても充実した作品群となっています。
K.330はアルフレート・アインシュタインが「かつてモーツァルトが書いた最も愛らしいもののひとつ」と評している作品で、ウィーンで忙しく活躍しているモーツァルトの明るく前向きな生活を映し出しているようです。
以前第1楽章を取り上げていますので、ここでは第3楽章のアレグレットを聴いてみます。
この楽章はほとばしるような快活な主題で始まる、ソナタ形式ですが、展開部では民謡にインスピレーションを受けた小さな間奏曲を代用していて、意外性を発揮しています。
ピアノ・ソナタ(第10番)ハ長調 K.330(300h)/第3楽章 Allegretto
Link >> 第1楽章
<写真>新潟市秋葉区 新津川の河川敷の水仙(4月下旬撮影)
◆余談◆
この頃のモーツァルトのピアノ・ソナタは「愛らしい」という形容がぴったりな作品群です。
モーツァルトはこれらの作品を演奏会で弾いたり、弟子の教材として使ったり、出版したりと、多方面にわたって活用し、収入を得ていたと思われます。
ウィーンの寵児として八面六臂の活躍をするモーツァルトの絶頂期の輝きに満ちた作品群と言えるでしょう。
それぞれのソナタは短期間書かれているにもかかわらず、互いに異なった特異性を備えていて、とても充実した作品群となっています。
K.330はアルフレート・アインシュタインが「かつてモーツァルトが書いた最も愛らしいもののひとつ」と評している作品で、ウィーンで忙しく活躍しているモーツァルトの明るく前向きな生活を映し出しているようです。
以前第1楽章を取り上げていますので、ここでは第3楽章のアレグレットを聴いてみます。
この楽章はほとばしるような快活な主題で始まる、ソナタ形式ですが、展開部では民謡にインスピレーションを受けた小さな間奏曲を代用していて、意外性を発揮しています。
ピアノ・ソナタ(第10番)ハ長調 K.330(300h)/第3楽章 Allegretto
Link >> 第1楽章
<写真>新潟市秋葉区 新津川の河川敷の水仙(4月下旬撮影)
◆余談◆
この頃のモーツァルトのピアノ・ソナタは「愛らしい」という形容がぴったりな作品群です。
モーツァルトはこれらの作品を演奏会で弾いたり、弟子の教材として使ったり、出版したりと、多方面にわたって活用し、収入を得ていたと思われます。
ウィーンの寵児として八面六臂の活躍をするモーツァルトの絶頂期の輝きに満ちた作品群と言えるでしょう。
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