モーツァルトは1783年の夏に妻コンスタンツェを連れて、結婚の挨拶のためにザルツブルクに帰省しました。しかし、もともと結婚に反対だった父は彼らを歓迎はしなかったようです。
約3ケ月ザルツブルクに滞在している間に、モーツァルトは旧知のミヒャエル・ハイドン(有名なヨーゼフ・ハイドンの弟)が大司教から依頼されてた6曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲を、重い病気のため残りの2曲を完成できないでいることを知ります。
モーツァルトは少年期から彼の影響を強く受けていて、作曲家としても彼を尊敬していました。そんな彼の窮地を救うためにモーツァルトは僅か2日間で2曲の二重奏(K.423とここで聴くK.424)を完成させたといわれています。
作品は3楽章形式で、他の作曲家が作ったことが分からないように、調性を選び、ハイドンの作曲様式を取り入れて書かれているそうです。
ここで聴く第2楽章はアンダンテ・カンタービレで、ヴィオラは伴奏にまわり、ヴァイオリンが旋律を奏でます。
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調 K.424/第2楽章 Andante cantabile 変ホ長調 6/8
◆余談◆
モーツァルトとヨーゼフ・ハイドンとの関係は、ハイドンセットと呼ばれる弦楽四重奏曲集などでよく知られていますが、その弟であるミヒャエル・ハイドンとも深いつながりあります。
ミヒャエルは兄と同じくウィーン聖シュテファン教会少年聖歌隊に入り、1757年からハンガリーで楽長として活動していました。そして1763年2月、ザルツブルクの宮廷楽団の首席奏者だったレオポルトが副楽長に就任したのに伴い、その後任としてミハイルが首席奏者となりました。さらに1781年、モーツァルトがザルツブルクを去ったとき、その後任となり、以後、終世ザルツブルクを離れませんでした。
兄のヨーゼフの陰に隠れてあまり目立ちませんが、モーツァルトが敬愛するほどの才能があったようです。
ミヒャエルはモーツァルト作曲したこの二重奏曲のオリジナル楽譜を、思い出の品として生涯大切にしていたと伝えられています。
おはようございます。きのう、この曲を全曲聞いて見ました。しみじみとした味わい。
返信削除例のモーツァルト全集があるので助かります。
やぱげーの様、コメントありがとうございます。
削除当地は桜が満開の時期なのですが、冬に逆戻りしたような天気で、とてもお花見気分になれません。ですので、家で「きらクラ!」聞いています。
今日は、先週のやぱげーのさんのリクエスト“木々のうちで何より愛らしいもの”が違った作曲家で3曲も放送されるようで、とても楽しみです。
御地「上堰潟公園」は桜の名所と伺っています。綺麗な菜の花に、ますます桜前線の北上をまっています。冷たい雨足が少々強くなった夕刻の盛岡です。
返信削除山好きかっちゃんさん、コメントありがとうございます。
削除申し遅れましたが、先週、そして今週と連続でラジネコールおめでとうございました。きっと東北の春の光景を描写した素敵な投稿だったのでしょうね・・・。
とにかく「きらクラ!」の投稿数はかなりのものだと思いますので、ラジネコールされるだけでもラッキーのように思います。
また、かっちゃんさんの投稿が読まれるのを楽しみにしております。