2016年11月19日土曜日

K.297b(Anh.9) (管楽器のための)協奏交響曲 変ホ長調/第1楽章

1778年3月23日、モーツァルトは母と二人で12年ぶりにパリの地を踏みました。
到着後まもなく、ちょうどパリにいあわせた4人の管楽器の名手のために1曲の協奏交響曲を書きました。
この自筆譜はコンセール・スピリチュエルで演奏するため、総監督のジャン・ル・グロに売り渡されましたが、この自筆譜はなぜか紛失し、せっかくの作品は演奏されずに終わったそうです。
このことについて、モーツァルトは父宛に憤慨して陰謀を疑う書簡を送っています。当時パリで活躍していた作曲家の誰かが、モーツァルトに名声を奪われることを恐れ、陰謀を企てた可能性は十分ありえそうです。

現在演奏されている楽譜は、モーツァルト研究家オットー・ヤーン(1813--89)の遺品から見つかった写譜が用いられています。自筆譜がないため現在でも真作か否かの議論が続いているようですが、私(音楽のド素人)はモーツァルトの作品として全く違和感は感じません。
全3楽章で、独奏楽器はオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットで、パリ風の典雅で豊かな響きに満ちています。


協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.9)/第1楽章 Allegro

Link▶ 第3楽章 Andantino 変ホ長調

<写真> 新潟市西区 佐潟の白鳥 (2016年11月18日撮影)

余談
12年前の1766年にモーツァルトがパリを訪れたのはわずか10歳の時です。神童ともてはやされ、貴族たちの前で驚愕の演奏を披露していた頃の記憶はすでに忘れられ、モーツァルトの就職活動はこのパリの地でも困難を極めました。
選帝侯へ就職を懇願しても返答はいつも『空席がない』の一言だったようです。
この協奏交響曲への妨害は、モーツァルトの才能を見抜いた作曲家が恐れをなして企てたとも考えられます。
既得権益者が新来勢力に対して身を守ろうとすることは、いつの時代も同じようです。

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