2017年12月31日日曜日

K.284(205b) ピアノ・ソナタ(第6番)ニ長調

2017年の大晦日を迎えました。
今年、最後の曲はピアノ・ソナタ(第6番)ニ長調を聴いてみます。
1775年の初頭にミュンヘンで書かれた、6曲のソナタ(K.279~K.284)の最後にあたる曲です。音楽の後援者であったタデーウス・フォン・デュルニッツ男爵のために作曲されました。
この曲は前の5曲に比べ、フランス風のギャラントな作風となっています。
ここで聴く第2楽章はフランス語で「ポロネーズ風ロンド」と書かれています。A-B-A-C-B-Aという形をもっていますが、ポロネーズのリズムはさほど強調されておらず、細かな装飾を散りばめた、優美な歌が支配的になっています。


ピアノ・ソナタ(第6番)ニ長調/第2楽章 Andante イ長調 3/4 ポロネーズ風のロンド形式

余談
今年も1年間、長い中断等を挟みながらの拙い内容のブログでしたが、お付き合いいただき誠にありがとうございました。
オーストリア旅行後の9月から、普段あまり聴かないザルツブルク時代の作品を多く取り上げました。このことは私にとりまして、とてもよい勉強になりました。
またこのブログは、今までランダムにモーツァルトの作品を取り上げて来ましたが、長く経過すると統一性に欠ける印象が拭えません。時系列でもない、ジャンル別でもない・・・と見ていただく方には分かりにくいと思われますが、どうかお許しください。
全体像を掴みやすくする新たなサイトの開設も考えておりますが、かなりハードルの高い作業になります。
それでは音楽を愛する皆様、よいお年をお迎えください。

2017年12月16日土曜日

K.195(186d) 聖母マリアのためのリタニア

モーツァルトはザルツブルク時代に4曲のリタニア(K.109、K.125、K.195、K.243)を残していますが、その中からこの時期(1774年)に書かれた第3曲目のリタニアを聴いてみます。
この曲は、イタリアのロレートのサンタ・カーザの聖マリア礼拝堂の壁に刻み込んであったテクストによるため「ロレートのリタニア」とも呼ばれます。
5曲から構成されていて、前作から一段と充実した内容になっていて高く評価されています。
ここで聴くアニュス・デイは深い感情を湛えたソプラノの独唱で始まり、広い音域のコロラトゥーラを繰り広げるソロにコーラスが2回応答し、祈りの言葉で静かに曲を閉じます。


聖母マリアのためのリタニア K.195(186d)/第5曲 アニュス・デイ(神の仔羊)Adagio ニ長調

<写真>オーストリア デュルンシュタインの修道院教会にて

◆ 追悼 岩本賢雄先生 ◆
私の部屋にはいつも右のモーツァルト像が飾ってあります。
岩本先生から頂いたもので、イラストは先生のご友人の大関氏が描かれた作品です。
先生は高校で英語の教鞭を執ってらっしゃいましたが、音楽への造詣も非常に深く、赴任された高校で吹奏楽部を立ち上げ、ご自身で指導されて県下トップレベルに導かれました。また県下の高校文化部活動をまとめた組織を立ち上げられたり、そのご活躍分野は多岐に渡ります。
そんな先生とお会いできたのは、当地に以前あった「モーツァルト愛好会」という会の集まりでした。その会の中でモーツァルトの全曲をCDで鑑賞しようという企画が始まり、既に退職されていた先生が講師としてお話をしてくださいました。
スコアを片手にした各楽曲への先生の解説は、深い知識に基づいた、とても啓発される内容でした。また先生の語り口からモーツァルトへの愛情・敬愛の念が溢れ出ていて、私は先生のお話を聞くたびに心が暖かくなりました。
その会が事情で解散した後も、先生は個人で「モーツァルト全曲観賞会」を続けられて、数年をかけて全曲観賞を達成されました。その達成記念の会で、右のポートレートをいただきました。

その先生が今月の10日に他界され、先日お通夜に参列させていただきました。
以前より闘病中とは伺っていましたが、何度かコンサートでお姿を拝見していました。
先生に最後にお会いしたのは、7月21日の「前橋汀子 バッハ無伴奏ソナタ演奏会」でした。
当日開演前に近くの公園を散歩していたら、先生が池のほとりで休んでいらしゃる姿が目に入り、僭越ながら声をかけさせていただきました。先生の近況を伺い、私の近況もお伝えしてとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。また帰りは車で先生のお自宅までお送りすることができました。
本当にお世話になりました。有意義なお話を沢山聞かせていただき感謝しております。
どうか天国で安らかにお休みください。

2017年12月12日火曜日

K.358(186c) 4手のためのピアノ・ソナタ 変ロ長調

モーツァルトは若い時期に4手のための、つまり1台を2人で弾く連弾用のピアノ・ソナタを3曲書いています。その3曲目が今日聴くK.358(186c)です。
当初1780年頃の作品と思われていて、K番号358が振られましたが、その後の研究で1774年頃ザルツブルクで書かれたとわかり、K6版では「186c」の番号になっています。姉のナルネンと一緒に弾くために書かれたものと思われます。
モーツァルトはこの作品を気に入っていたようで、その後1777年の母とのパリ旅行の際に、この楽譜を送って欲しい旨を父宛の手紙に書いています。またウィーンに移ってからも、コンスタンチェやお弟子さんと連弾した記録が残っています。
全3楽章ともソナタ形式で、ここで聴く第2楽章はミラノ四重奏曲第6番(K.160)の冒頭主題が用いられています。


4手のためのピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.358 (186c)/第2楽章 Adagio 変ホ長調

<写真>ザルツブルク 旧市街広場から望むホーエンザルツブルク城

余談 今回の「きらクラ!
すっかり師走ムードになってまいりました。
当地は寒風が吹き荒れています。NHK-FMではバイロイト音楽祭の放送が始まりました。
今週の「きらクラ!」では先週のコンサートの拍手の件での投稿がいくつか読まれました。 冒頭のチャイコモチさんの御意見に私も全く同感です。コンサートの雰囲気を台無しにするフライング拍手を防ぐためには、指揮者(演奏者)が演奏を終えて挨拶体勢に入ってから心を込めて拍手をすればいいのだと思います。先を争うように拍手する必要は全くないと思います。むしろ早すぎる拍手は余韻を壊してしまう弊害があります。
放送の後半はクリスマス協奏曲、マーラーの歌曲、バッハのカンタータ等しっとりと聴き入ってしまいました。「きらクラ!」も年末ムード加速中!!
最後のラジネコールで不肖私の2ndラジネ「ひま人28号」を読んでいただき感激! 今度こそ本採用を目指して頑張るぞ!!・・・・と言っても最近のコダマッチの壁は高い・・・

2017年12月9日土曜日

K.191(186e) ファゴット協奏曲 変ロ長調

ファゴットという楽器は、どこかユーモラスで暖かい響きをもっていて、オーケストラの中でも独自の存在感を放っています。
モーツァルトはこのファゴットのために5曲もの協奏曲を書いた可能性があるそうですが、残念ながら現存しているのはこの1曲のみです。
1774年6月にザルツブルク大司教に雇われたファゴット奏者のために書かれたと思われます。モーツァルトが宮廷音楽家として生活し始めた時期でもあり、ギャラントな作風になっています。
この作品は、ファゴットという音域と音量に限界がある楽器の欠点を補う、音色の豊かさ、ユーモア、幅広い音程跳躍などの特質をモーツァルトが熟知し、見事に引き出した名曲として愛され、数少ないこの分野の最高傑作に数えられています。


ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191(186e)/第1楽章 Allegro

<写真>ザルツブルク 旧市街 広場の大道芸人?(2017年9月)

2017年12月5日火曜日

K.192(186f) ミサ・プレヴィス ヘ長調【御命日に寄せて】

今日はモーツァルトの226回目の御命日です。
この世に残してくださった多くの音楽に感謝しつつ、天上界での御冥福をお祈り申し上げます。(勝手なお願いですが、もし天上界で我が家にいた猫たちをみつけたら遊んでやってください。)

そこで今日は、ザルツブルク時代の多くの教会音楽の中でも高く評価されているミサ曲を聴いてみます。作曲されたのは1774年、モーツァルト18歳の時、ザルツブルク大聖堂のために書かれました。
独唱4部、4部合唱、トランペット2、トロンボーン3、ヴァイオリン2部、バス、オルガンという簡略な編成ながら、対位法を駆使した緊密で充実した作品となっています。全体は6曲からなっていて、ここでは最終の第6曲<アニュス・デイ>を聴いてみます。
オーケストラの悲痛な序奏に始まり、ソプラノ独唱に引継がれます。途中からヘ長調、アレグロ・モデラートとなり軽やかなイタリア的な雰囲気で曲を閉じます。


ミサ・プレヴィス ヘ長調 K.192(186f)/VI アニュス・デイ Allegro ニ短調

<写真>ザルツブルク大聖堂 天上壁画

余談 今日の「きらクラ!
最近の「きらクラDon」は白旗降参続き。ドニゼッティさんは守備範囲外。今回も皆目見当がつきません。世の中にはまだ知らない名曲が山のようにあります。「きらクラ!」を通じて大いに楽しませていただきます。本当に有難いことです。
空耳の『芋飯(いもめし)にカレー』には大笑い!瞬間芸ではなく、おどろおどろしく畳みかけてくるインパクトは強烈で、歴史的な名作(迷作)ではないかと思いました。さんちゃんさんの空耳力には感服!
そしてBGM選手権は今回もとても刺激的でした。3つの曲の雰囲気が実に好対照で、詩の世界が音楽によってがらりと変わる様は正にBGMの真骨頂。
ベストに選ばれた奈良県の≪障子破れてさんがあり≫さんはラジネで座布団1枚! さらに選曲された間宮芳生作曲の「ヴァイオリン協奏曲」…(知ってることが凄い)…はこの詩のためにあるのではないかと思われるほどのマッチングでした。
リスナーの方々の素晴らしいセンスと、それを選ばれるスタッフの方々には感謝・感謝です。
「きらクラ!」がますます素晴らしい番組になっていくので、本当に日曜日が楽しみです。

2017年12月1日金曜日

K.172 弦楽四重奏曲(第12番)変ロ長調 

1773年に書かれたウィーン四重奏曲の5番目にあたる曲を聴いてみます。
この曲は格別新しい試みをしたものではなく、むしろ伝統に即した作品といえるもので、新味はないかわりに安定した美しさを具えています。
この第2楽章は第1ヴァイオリンが歌いあげる抒情的な旋律に、第2ヴァイオリンとヴィオラが拍をずらしながら分散和音を刻み豊かな背景を彩っています。
この第1テーマの旋律は「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリア「愛の神様」を思い起こさせます。


弦楽四重奏曲(第12番)変ロ長調 K.172/第2楽章 Adagio 変ホ長調

<写真>新潟市西蒲区夏井のハザ木と弥彦山(11月撮影)

余談---愛猫に捧げる---
早いものでもう師走を迎えました。
実は先月下旬、我が家の4匹の愛猫が相次いでインフルエンザに罹患し、2匹は回復したのですが、残念ながら高齢(17才:人間でいうと80~90才)の2匹が何度かの点滴治療も効果なく天に召されました。
生き物を飼っていると必ずお別れは来るとはわかっていても、やはり辛いものです。特に家人は自身の子供のように可愛がっていたので、その悲しみ・喪失感を思うと言葉を失います。
17年間本当にありがとう。ゆっくり天国で休んで、気が向いたらまた遊びに来てね。

2017年11月19日日曜日

K.175 ピアノ協奏曲(第5番)ニ長調

モーツァルトのピアノ協奏曲は彼の作品群の中でも輝かしいジャンルのひとつですが、17歳のこの時期にそのスタートとなる作品を書いています。
番号の付いている1番~4番はクリスティアン・バッハなど他の作曲家の作品に手を加えた習作的なもので、モーツァルトの実質的なオリジナルはこの作品が最初にあたります。
すでに後期の名作をも彷彿させるような完成度を備えています。
この第1楽章は4分の4拍子、アレグロ。協奏曲風のソナタ形式で、ギャラントな薫り高いものですが、それのみにとどまらず構成的にもしっかりした存在感を備えています。ここでは当時のフォルテ・ピアノによる演奏を聴いてみます。


ピアノ協奏曲(第5番)ニ長調 K.175/第1楽章 Allegro (フォルテ・ピアノによる演奏)

<写真>ザルツブルク タンツマイスターハウス(モーツァルトの住居)
この曲を作曲した頃、モーツァルト一家は手狭になった生家から、この家の2階に引っ越しました。この建物は没後200年を期に再建されたもので、その際は世界中から寄付を募りました(不肖、私も少額の寄付をさせていただきました)。現在はモーツァルト博物館になっています。

余談
モーツァルトはこの作品に愛着をもっていたようで、ウィーン時代の1782年には作品の一部に手を加え、さらに第3楽章をウィーン風に書き直した「ロンド K.382」を使う版も残されています。

2017年11月14日火曜日

K.174 弦楽五重奏曲(第1番)変ロ長調

引き続き1773年、モーツァルト17歳の時の作品を聴いてみます。
この年は非常に多作で、弦楽四重奏曲、交響曲をはじめ他の作曲家の作品に触発されながら、モーツァルトは新しい音楽の可能性を探っていた時期だともいえると思います。
この弦楽五重奏曲はミヒャエル・ハイドン(有名なヨーゼフ・ハイドンの弟)の最初の弦楽五重奏曲に触れて、同様の編成の作曲を試みたものと思われます。
この年の春に書き始めて、ウィーン旅行から帰ってきてからハイドンの2番目の五重奏曲を知って、さらに書き直し12月に完成しました。
この曲を書いてから次の弦楽五重奏曲(K.515)を作曲するのは、実に14年後の1787年になります。この1曲だけポツンと何の目的で書かれたのかは不明です。
ここで聴く第3楽章はメヌエットで、へ長調のトリオが書き直しの際加えらました。


弦楽五重奏曲(第1番)変ロ長調 K.174/第3楽章 Menuetto ma allegretto

余談
最近ずーっとモーツァルトの10代の作品を聴いています。普段あまり聴く機会のない曲です。
この弦楽五重奏曲も2番以降は名曲の誉れ高い作品ですが、この1番は殆んど演奏会でも取り上げられません。しかし、モーツァルトの作品の成熟していく過程のスタートとして興味深いものがあります。

2017年11月11日土曜日

K.180(173c)「わがいとしのアドーネ」による6つのピアノ変奏曲

1773年のウィーン滞在中に、モーツァルトはサリエリのオペラの主題によるピアノ変奏曲を書いています。
サリエリは例のモーツァルト毒殺の伝説がありますが、当時のウィーンでは確固とした地位があり、優れた音楽教育家でもありました。この変奏曲のテーマとなったオペラ「ヴェネツィアの市 」は1772年1月に初演され、1773年の2月まで上演されていたといいますから、かなり人気があったようです。
このオペラの中のアリア「わがいとしのアドーネ」の主題によってこの変奏曲は書かれていますが、モーツァルトが自身のピアノの腕前を披露する目的で書かれたものと思われます。
全体は118小節のかなり長い曲になっていますが、手慣れた手法で親しみやすい変奏曲になっています。


「わがいとしのアドーネ」による6つのピアノ変奏曲 ト長調 K.180(173c)

<写真> 弥彦神社 もみじ谷の紅葉(11月6日撮影)

余談
サリエリは映画「アマデウス」での印象が強い人物ですが、イタリア出身の正統派の音楽家で、後にウィーンの宮廷楽長にまで出世します。教育家としてもベートーヴェン、シューベルト、リストなどを育てたといいますから、その手腕は並外れたものがあったようです。

2017年11月5日日曜日

K.173 弦楽四重奏曲(第13番)ニ短調

ウィーン四重奏曲の第6曲目は初期弦楽四重奏曲の中で唯一の短調で、有名なハイドン・セットのK.421と同じニ短調になっています。モーツァルトの23曲の弦楽四重奏曲の中で短調はこの2曲のみです。
作曲されたのはウィーン滞在中の1773年9月頃と思われます。アレグロ・マ・モルト・モデラート(アレグロだけど、非常に中庸なテンポで)の表記は父レオポルトによって書き込まれています。
ここで聴く第1楽章は2/2拍子、ソナタ形式で、第1主題は前打音のついた下行分散和音で、シンコペーションとオクターヴ跳躍によってとても個性的なものになっています。その後ユニゾンによる衝動的で不安定なモティーフが何度も繰り返され、内面的な揺れを感じさ、非常に緊張感のある密度の濃い作品になっています。


弦楽四重奏曲(第13番)ニ短調 K.173/第1楽章 Allegro ma molto moderato

<写真> ウィーン シェーンブルン宮殿の庭園

余談
このウィーン旅行の目的は、17歳になったモーツァルトの就職先を探すことでしたが、マリア・テレジアが権勢をふるい、ウィーン音楽界の重鎮達が鎮座していた環境では父の努力も実を結びませんでした。
モーツァルトの就職活動はその後も困難の連続で身につまされます。
そしてモーツァルトはこのニ短調の作品を書き上げた後に、再び弦楽四重奏曲を書くのは9年後の1782年のハイドン・セットまで待たなければなりません。

2017年10月31日火曜日

K.170 弦楽四重奏曲(第10番)ハ長調

1773年3月、最後のイタリア旅行から帰郷したモーツァルトは、その年の7月から9月にかけてウィーンに旅行しました。 その時に書かれた弦楽四重奏曲を聴いてみます。
この曲集もミラノ四重奏曲集と同様に6曲からなっていて「ウィーン四重奏曲」と呼ばれています。6曲全て4楽章形式になっていて、主にハイドンの作品から刺激を受けて、ウィーン滞在中に書かれています。このK.170はそのウィーン四重奏曲の第3曲目にあたります。
この第1楽章は変奏曲形式になっていて、ウィーン風のディベルティメントの伝統を感じさせ、ゆったりした主題の旋律はハイドンの作品から模して、モーツァルトなりの工夫が施されています。


弦楽四重奏曲(第10番)ハ長調 K.170/第1楽章 Antante

<写真> ウィーン シェーンブルン宮殿の庭園

余談今週の「きらクラ!」
今回のBGM選手権は私にとっては超難問でまたまたお手上げ状態でした。
目に見える美し光景と対照的な心の陰を表現できるような音楽・・・・思いつきません。放送では光景を温かく描写したテレマンのフルート協奏曲がベストとなりました。
最後の真理さんの1曲、アルビノーニのアダージョの「今日も洗濯物乾かなかった」には笑ってしまいました。次回は再放送で、本放送はお休みのようです。・・・・残念。

2017年10月25日水曜日

K.159 弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調/第2楽章

第2楽章は一転してト短調のアレグロ。
内面的な激しい感情が溢れ出ているようなエネルギーに貫かれています。
3拍子のメヌエットのように始まり、展開部は20小節の推移的なものですが、全体は195小節に及び、ソナタ形式となっています。
父親もこれらの作品にはしっかり目を通しているはずですが、彼の目には旧来の様式からは外れた革新的(反抗的?)な作品に映ったのではないでしょうか。
「ト短調」という調性はモーツァルトの宿命の調性ともいわれますが、何かモーツァルトの本性にシンクロするような力強さで訴えかけてくるものがあります。


弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第2楽章 Allegro ト短調

<写真>オーストリア ハルシュタットの家並

余談
モーツァルトはこの「ミラノ四重奏曲集」の後に「ウィーン四重奏曲」、このブログでも何度か取り上げた有名な「ハイドン四重奏曲」、「ホフマイスター」、「プロイセン王四重奏曲」と番号のついているもので23曲の弦楽四重奏を残しています。
これらの作品も交響曲と同様に、先輩ハイドンの影響を受けながら、それらをさらなる高みに押し上げた作品群となっています。

2017年10月23日月曜日

K.159 弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調/第1楽章

1772年10月にモーツァルト父子は第3回のイタリア旅行に出かけ、ミラノに滞在します。
この時期に6曲(K.155~K.160)からなる弦楽四重奏曲を連作します。そしてこの曲集は1冊の自筆譜にまとめられてあることから「ミラノ四重奏曲集」と呼ばれています。
父親のザルツブルク宛ての手紙では「退屈しのぎに書いた」ものになっていますが、16歳のモーツァルトが様々な音楽的な可能性を試みているように思われます。
この曲集は全て3楽章構成で、この「変ロ長調」は連作の5作目にあたり、唯一緩徐楽章から始まります。
ここで聴く第1楽章は、第2ヴァイオリンが奏でる気品のある主題で始まり、ゆったりと歌うように流れる曲想がとても印象的です。


弦楽四重奏曲(第6番)変ロ長調 K.159/第1楽章 Andante

<写真>オーストリア ハルシュタット湖の水鳥たち

余談今日の「きらクラ!」
大型台風の接近で、放送途中に時々避難情報が入ったりして、ちょっと落ち着かない回になりました。最後のふかわさんの1曲で、モーツァルトの「音楽の冗談 K.522」の第4楽章が流れて、思わずニヤニヤしてしまいました。 実に遊び心に溢れたモーツァルトならではの作品で、いつかはこのブログでも取り上げるつもりです。
このように冗談で作った作品が、230年経った今でも真面目に演奏され愛されているということは、ただただモーツァルトの偉大さのなせることだと思います。普通の作曲家がこの曲を書いたとしても決して歴史には残らなかったと思います。
蛇足ですが、同じような事をビートルズの作品でも感じます。彼らは名曲も沢山残していますが、どうにも遊びまくった冗談のような曲も結構残していて、聴く者の心をほぐしてくれます。

2017年10月20日金曜日

K.134 交響曲(第21番)イ長調

1771年から72年にかけての8つの交響曲の連作の最後の曲を聴いてみます。
この第21番 K.134 は弦楽と管楽器はフルート2、ホルン2の編成になっています。18番以降は管楽器の組み合わせをそれぞれ変えていて、作品の響きに特徴を持たせています。
この第1楽章は3/4拍子をとることによって、一般的な行進曲風や4/4拍子の開始とは違う新鮮な印象を与えています。またモーツァルトとしては珍しい単一主題的なソナタ形式をとっていて、最後には18小節のコーダを置いています。
連作の中で多様な作風を披露することで、新大司教にアピールしたのではないかと推測されますが、ちょうどこの頃、1772年8月21日付で宮廷の訓令があり、モーツァルトは宮廷楽団の無給の名誉職から、有給のコンツェルトマイスターに昇格し、年給150グルデンが支給されることとなります。


交響曲(第21番)イ長調 K.134/第1楽章 Allegro

<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿

余談
モーツァルトの交響曲は番号があるのは41番のジュピターまでですが、実際は50曲以上の交響曲を書いています。
同様に多作であったハイドンは約40年間で104曲の交響曲を残しています。
モーツァルトは9歳で無邪気な交響曲を書いてから25年後に39番、40番ト短調、41番「ジュピター」を完成させますが、その密度の濃い飛躍的な成熟のありさまは、ハイドンの40年間とは対照的な急峻な道のりであったように思われます。

2017年10月17日火曜日

K.130 交響曲(第18番)ヘ長調

モーツァルトが第2回目のイタリア旅行から帰って来た1771年12月に、寛大だったザルツブルク大司教のシュラッテンバッハが他界してしまいます。
後任のコロレド伯が翌年の3月に着任しますが、この時期にモーツァルトは8曲(第14番K.114~第21番K.134)もの交響曲を集中的に作曲しました。
この創作熱は新たに就任した大司教に自身の作曲能力を示すためと推測されますが、3回目のイタリア旅行に向けての新作の準備とも考えられます。
第18番の交響曲は豊かな楽想をいくつも含む作品で、モーツァルトの偉大な交響曲の第1作とみなす評論家もいます。
ここで聴く第1楽章はファンファーレなしに静かに始まり、前半のみが反復されるソナタ形式になっています。ハンガリーの民族音楽の影響とも思えるリズムをもっていて、モーツァルトの豊かな旅行体験が反映されています。


交響曲(第18番)ヘ長調 K.130/第1楽章 Allegro

<写真>ザルツブルク ヘルブルン宮殿 水の庭園

余談
今の感覚でいうと、1年にも満たない期間に8曲もの交響曲を作ったというと驚いてしまいますが、モーツァルトの時代の「交響曲」の位置づけは今の時代とは随分と違っていて、オペラなどのメインの演目の序曲のような比較的軽い扱いだったそうです。
その交響曲をどんどん進化・発展させたモーツァルトは晩年の三大交響曲を生みだし、その歴史をベートーヴェン、ブラームス・・・・へと繋いでいきます。

2017年10月14日土曜日

K.137(125b) ディヴェルティメント 変ロ長調

今日はモーツァルトが17才の時にザルツブルクで書いたディベルティメントを聴いてみます。
このK.137はK.136K.138とともにザルツブルク・シンフォニーとも呼ばれ、とても人気のある作品です。
ヴァイオリン2部、ビオラ、バスで演奏されますが、各パートの台数が明示されていないため、弦楽四重奏としても弦楽オーケストラとしても演奏されています。
3楽章形式で、この曲は第1楽章がアンダンテで始まる珍しい構成になっていますが、ここでは快活な第2楽章を弦楽オーケストラ版で聴いてみます。
2回のイタリア旅行の後に書かれたこの曲は、地中海の青空を連想させるような底抜けに明るく闊達な雰囲気に満ちあふれていてます。


ディヴェルティメント 変ロ長調 K.137(125b)/第2楽章 Allegro di molto

<写真>ザルツブルク マカルト橋からホーエンザルツブルク城を望む

余談
この曲の「ディヴェルティメント」という表記は、誰かがモーツァルトの楽譜に書き加えたものだそうです。(ディヴェルティメントの語源はイタリア語の「divertire(楽しい、面白い、気晴らし)」で、深刻さや暗い雰囲気は避けた曲風であることが一般的。)
この曲集(K.136~138)の場合、メヌエット楽章がなく形式的には「オーボエとホルンのない弦楽器だけのシンフォニーである」とアインシュタインはいっています。
モーツァルトの時代は音楽のジャンルがはっきり分かれていなく、曖昧な面が多々あったようです。ジャンル分け自体あまり本質的な問題ではありませんが、モーツァルトの音楽を聴いていると交響曲なのかディベルティメントなのかセレナーデなのかわからないことがよくあります。

2017年10月9日月曜日

K.222(205a) オッフェルトリウム「ミゼリコンディアス・ドミニ」 ニ短調

「雀ミサ」と同じ時期に書かれていて、ホモフォニックな前作とは対照的に対位法の技巧を駆使した曲を聴いてみます。
オッフェルトリウム(offertorium)とはカトリックのミサの奉納の儀、またそのあとに聖歌隊と会衆とによって交互に歌われる奉納唱のことをいいます。「ミゼリコンディアス・ドミニ(Misericordias Domini)」は「主の御憐れみを」という意味だそうです。
1771年イタリア旅行から帰ったモーツァルトは、自身の楽譜帳に書き写した多くの模範の研究によって対位法を深めようしていたようで、この作品はその成果ともとれます。ポリフォニックな合唱のハーモニーが教会音楽の荘厳な雰囲気を放っています。
また、この曲の中にベートーヴェンの第九「歓喜の歌」に似た旋律が何度か出てきて、ちょっと驚かされます。ベートーヴェンはこの曲からインスピレーションを受けていたのでしょうか……?


オッフェルトリウム「ミゼリコンディアス・ドミニ」 ニ短調 K.222(205a)

<写真>ザルツブルク 大聖堂の内部(高い天井と荘厳な雰囲気に満たされていました)

余談今日のきらクラ!
ふかわさんが帰ってきたきらクラ!
冒頭からくしゃみのことで笑わされました。ぶっつけ本番で収録しているのでしょうが、ふかわさんの即興的な対応力はすばらしいものがあります。真理さんはじめスタッフの皆さんの円滑な関係を垣間見るようでした。
BGM選手権は「関西弁に合う音楽……????」私は全面降参だったので、みなさんの音楽がとても楽しみでした。4曲採用されましたが、サティ以外は初めて聴く曲で、「なるほど……!!!」と感心するような選曲ばかりでした。ベストはソムリエ・コダマッチ氏推薦のサン=サーンス「死の舞踏」になりました。
最後の長めのラジネコールでお知り合いが何人か読まれて、うれしくなってしまいました。
次回は1週間空くから、枯れかけている脳細胞に水を与えて、なんか投稿するように頑張るぞ……!!!!

2017年10月8日日曜日

K.220(196b) ミサ・ブレヴィス ハ長調 「雀ミサ」

同じ時期、1775年頃に書かれた教会音楽を聴いてみます。
「ブレヴィス(brevis)」はラテン語で「短い、簡潔な」といった意味で、一般に「小ミサ」といわれます。
モーツァルトはザルツブルクの大司教の命令で15曲ほどのミサ曲を残していますが、その中でもこの曲は最も簡素化されているといわれています。
このことは、大司教が自身の取り仕切るミサの時間短縮を図っていたためで、曲自体は20分程の短い演奏時間で終わります。
「雀ミサ」という呼び名は、サンクトゥス、ベネディクトゥスに現れるヴァイオリンの鋭い音型が雀のさえずりに似ていることからつけられました。
あのアインシュタインは「最も気の抜けた、あまりにもザルツブルク的な教会作品」だと散々な評価をしていますが、ホモフォニックな手法でわかりやすく、親しみやすい作品になっています。ここでは、5曲目のベネディクトゥスを聴いてみます。


ミサ・ブレヴィス ハ長調 K.220(196b)/5-ベネディクトゥス Andante

<写真>ザルツブルク 大聖堂正面

余談
写真のザルツブルク大聖堂は774年に創建され、12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、17世紀にバロック様式で建て直されたものです。
モーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者もつとめ、そして多くの彼の教会音楽はここで演奏されました。長い長い歴史が刻まれています。

2017年10月2日月曜日

K.213 ディヴェルティメント ヘ長調

オーボエ2本、ホルン2本、ファゴット2本の管楽六重奏のディヴェルティメントを聴いてみます。
この楽器の組み合わせのディヴェルティメントを、モーツァルトは1775年から5曲連作します。
今までいくつ取り上げてきましたが、この曲はその連作の最初にあたります。おそらくザルツブルクの宮廷のターフェルムジーク(食卓音楽)として書かれたと思われています。
ここで聴く第1楽章は精妙に変化を加えた再現部を伴う、小さなソナタ形式になっていますが、大司教をはじめとする宮廷の方々のBGMとして、心地よいハーモニーに彩られています。


ディヴェルティメント ヘ長調 K.213 /第1楽章 Allegro spirituoso

<写真>新潟市西蒲区 上堰潟公園のコスモス(10月1日撮影)

余談
今回の「きらクラ Don!」は久しぶりのモーツァルトの曲でした。
先週聴いた時、この演奏は誰だろう・・・・と手持ちの何枚かのCDで聴き比べてみましたが、微妙な違いがあり、演奏者を特定することは出来ませんでした。 放送でウィルヘルム・ケンプ氏のピアノとわかりました(私はこのCDは持っていません)。響きに存在感のある温かさを感じました。
そしてリスナーの方々の投稿で、この第2楽章はバレエ、映画音楽、テレビ番組等、様々な場面で使われていると知りました。モーツァルトの数ある名曲の中でも最も有名な旋律のひとつといえるかも知りません。
私は流れるような第1楽章が特に好きです。

2017年9月30日土曜日

K.283(189h) ピアノ・ソナタ(第5番)ト長調

1775年の3月迄、モーツァルトはオペラ『偽の女庭師』の上演のためミュンヘンを訪れていました。
その時期にミュンヘンのデュルニッツ男爵のために6曲のピアノ・ソナタ(K.279~284)を書いていますが、その中の5番目にあたるト長調のソナタを聴いてみます。
鍵盤楽器がチェンバロからフォルテ・ピアノに発達段階だった時期であったため、モーツァルトもヨーゼフ・ハイドンやヨーハン・クリスティアーン・バッハの作品を参考にしながら様々な実験的試みをしているといわれています。
この第1楽章は、明朗で新鮮なリズムとともに軽やかに飛び跳ねるように進んでいき、実に爽快な印象を残します。


ピアノ・ソナタ(第5番)ト長調 K.283(189h)/第1楽章 Allegro

Link▶▶
  ソナタ(第1番)ハ長調 K.279(189d)
  ソナタ(第2番)ヘ長調 K.280(189e)
  ソナタ(第3番)変ロ長調 K.281(189f)
  ソナタ(第4番)変ホ長調 K.282(189g)

<写真>オーストリア デュルンシュタインのレストラン

2017年9月25日月曜日

K.211 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 第3楽章

フィナーレの第3楽章は、モーツァルトがイタリア語の「rondo」ではなくフランス語の「rondeau」という題名を付けたことでフランス音楽の影響を受けたとも推測されています。
2部のヴァイオリンに支えられて独奏ヴァイオリンが愛らしい主要主題を提示します。快活なエピソード、短調のエピソードをはさみながらこの主題は3度再帰し、フランス風の優美でギャラントなエンディングを迎えます。


ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211/第3楽章 Rondeau : Allegro ニ長調

<写真>ザルツブルク ミラベル宮殿で行われていた地元の結婚式の模様

今日の「きらクラ!」◆ 心にしみたブラームスの旋律
今回の「秋のブラームス祭り」は時期的に少し早いかな……と思いつつ聴いていましたが、次々と流れてくる奥深いハーモニーと旋律にすっかり心を奪われました。
私はブラームスのCDをあまり持っていませんし、普段も積極的には聴いていませんが、これからの時期ブラームスの室内楽を流しながら、温かいコーヒーをいただくなんてぴったりな感じがしました。
こうした偉大な作曲家が残してくださった数々の名作を、再生とはいえ身近に存分に味わえる幸福にただただ感謝します。

2017年9月24日日曜日

K.211 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 第2楽章

第2楽章はアンダンテ ト長調。
終始ゆったりとした抒情性に満ちていて平穏な波に揺られるような思いになります。ところどころ不意に訪れる沈黙に哀愁を感じます。
モーツァルト以後の作曲家によるヴァイオリン協奏曲にみられる緊張感・緊迫感・技巧性から比べると遥かにシンプルな内容ですが、そのシンプルさにこそ琴線に触れるものがあります。


ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211/第2楽章 Andante ト長調

<写真>ザルツブルク ミラベル宮殿の庭園
余談
このミラベル宮殿は、1606年当時ザルツブルクの大司教だったヴォルフ・ディートリッヒが愛人サロメ・アルトのために建造したものだそうです。愛人にマンション1戸とはスケールが違い過ぎます。
私は勉強不足で、今まで大司教というのは宗教的な指導者だと思っていたのですが、当時は塩の取引による経済力、政治力を併せ持った絶対的な領主だったようです。
そのような絶対的な領主に逆らったモーツァルトは流石です! なかなか出来ることではありません。

2017年9月22日金曜日

K.211 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 第1楽章

ザルツブルク時代のモーツァルトの作品を聴いてみます。
1775年・モーツァルト19歳のこの年に第2番から5番迄の4曲のヴァイオリン協奏曲が集中的に書かれたことはよく知られています。
この第2番はその年の最初に書かれた協奏曲で、第1番からは2年ぶりの作品となります。書かれた動機ははっきりわかっていませんが、父のレオポルドが有名な「ヴァイオリン教程」を出版したこととの関連も推測されていますが、おそらく宮廷楽団のために作曲したと思われます。
技巧的な名人芸を誇示する内容とは異なり、のびのびとした独奏とオーケストラの掛け合いが、とても心地よい響きを醸し出しています。


ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211/第1楽章 Allegro moderato

<写真>ザルツブルク ミラベル宮殿からホーエンザルツブルク城を望む(2017年9月撮影)
余談
大変長いお休みをいただいておりました。またぼちぼち再開しますので、お時間のある時に遊びにいらしてください。
さて私の念願でありましたザルツブルク、ウィーンを中心としたモーツァルトの足跡を辿る旅にこの度行ってまいりました。旅といっても「ひとりでのんびり」なんてことは無理なので、旅行会社のツアーに参加させていただき、各地の名所を巡ってきました。混雑するザルツブルク音楽祭を避けたのですが、それでも世界中から沢山の観光客が押し寄せていてました。
このブログにようやく本場の写真を載せることが出来るのがとてもうれしく思います。

2017年4月12日水曜日

K.375 セレナード(第11番) 変ホ長調 第1楽章

1781年に書かれた管楽器のためのセレナードを聴いてみます。
この曲は10月にウィーンの宮廷画家ヨーゼフ・フォン・ヒッケルの義妹のために書かれました。この時にはクラリネット、ホルン、ファゴット各2本の計6管の編成でしたが、翌年7月に何らかの事情でオーボエ2本を追加した版も存在します。この辺はお客様のリクエストに応えながら柔軟に対応していたものと思われます。
セレナードやディヴェルティメントはザルツブルクの大司教に仕えていた頃も沢山作曲しましたが、気に入らない上司のために書くのと、音楽がわかる依頼主のために書くのでは、モーツァルトのモチベーションは随分違っていたことでしょう。
この曲は、当時の楽師たちが、美しい曲へ敬意を表すために、モーツァルトの自宅の中庭に出向いて演奏していった、という逸話があります。
全体は5楽章構成になっていて、この第1楽章は行進曲風のトゥッティで始まり、いくつかのテーマを繰り返しながら、ゆったりと流れていきます。ここでの演奏は初版の6管のものです。


セレナード 変ホ長調 K.375/第1楽章 Allegro maestoso

<写真>新潟県五泉市の水芭蕉公園にて 2017年3月末撮影)

2017年4月10日月曜日

K.448 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 第3楽章

第3楽章はモルト・アレグロ、ニ長調、4分の2拍子。
冒頭、第1ピアノによって示される快活なテーマは、K.331のトルコ行進曲に似た音型を持っています。このテーマが何度か繰り返して演奏されるロンド形式になっています。
途中短調のテーマをはさみながら、終始軽快に走り抜けるように華麗に曲のフィナーレを迎えます。
またこの楽章では「第1ピアノのパートは、高いFis---というモーツァルトが他の鍵盤楽器作品では決して使わなかった音---を含んでいる。……中略……彼女(アウエルンハンマー嬢)が高いFisを(高いGも)備えたより新しい楽器を所有していたため、モーツァルトは面白がって彼女のためにその音を使ったのだと思われる。」(モーツァルト全作品辞典、P375 より引用)とロバート・D・レヴィンは述べていますが、モーツァルトの新しい楽器に対する前向きな姿勢が感じられます。


2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)/第3楽章 Molto allegro

参考■フォルテ・ピアノでの演奏(YouTubeより)
   Link▶▶ Sonata for Two Pianos in D major, K. 448 - (Ⅲ) Molto allegro 

余談・「きらクラ!」新年度スタート
冒頭でブロ友の山好きかっちゃんさんのお便りが紹介されました。ホームページのイラストについてのタイムリーな内容で、新しいイラストでステッカーを作っては……の提案に、何と!!!!! もう出来上がっているとのことで、素晴らしいリスナーとスタッフのシンクロに感激しました。
また、DONの正解音楽・当選音楽が新しくなって新鮮な感じです。不正解音楽は不朽の名作(?)のため変更なし。
そして今回のBGM選手権のお題は、金子みすゞさんの琴線に触れる詩でしたが、4つ紹介されたBGMはいづれも素晴らしいもので、詩の世界が一層魅力的に響きました。特にベストのオルフ作曲 歌劇「月」のラストシーンは冒頭の子どもの声も効果的で、秀逸な作品でした。カルミナのイメージしかなかったオルフに、こんな曲があったなんて全く知りませんでした。
今週は名付け親の出題がありませんでしたが、来週は「ご無沙汰合唱団」の「愛のあいさつ」特別編成かな?

2017年4月9日日曜日

K.448 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 第2楽章

第2楽章はアンダンテ、ト長調、4分の3拍子、ソナタ形式で書かれています。
はじけるような快活さに満ちた第1楽章から一転して、ゆったりと歌うような優美なメロディーが2台のピアノが対話するように受け継がれていって、美しい均衡美で統一された心安らぐ楽章となっています。


2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)/第2楽章 Andante ト長調

参考■フォルテ・ピアノでの演奏(YouTubeより)
   Link▶▶ Sonata for Two Pianos in D major, K. 448 - (II) Andante

余談
ここしばらく三寒四温の続いた当地でしたが、ようやく桜の開花宣言が出始めたようです。
もう1週間ほどで満開になるのでしょうか。雪国にも輝かしい春がやって来ました。
そして今日は「きらクラ!」も新年度!! ふかわさんも気合十分のようです。
   Link▶▶ ふかわりょうofficial Blog より「6年目のハーモニー」

2017年4月7日金曜日

K.448(375a) 2台のピアノのためのソナタ ニ長調 第1楽章

モーツァルトは2台のピアノのためのソナタを何曲か手掛けましたが、完成したのは意外にもこのK.448の1曲のみです。(他は未完成の断片として数曲が残っています。)
作曲されたのは1781年の11月頃で、例の弟子のアウエルンハンマー嬢とのプライベートの演奏会のために書かれました。その演奏会は大成功で、この曲は評判がよく、繰り返して弾いたと、モーツァルトは父親宛ての手紙で報告しています。
実際この曲はその後、何度も演奏会で取り上げられることになったようです。
2台のピアノのためのソナタは、特定のピアニストや演奏会を想定して作曲されていたようで、この曲も当然アウエルンハンマー嬢の力量を十分考慮して作られているものと思われます。
また、この曲は映画「のだめカンタービレ」でも取り上げられて、のだめと千秋の丁々発止のピアノの掛け合いが印象的なシーンを展開していました。


2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)/第1楽章 Allegro con spirito

<写真>新潟市北区福島潟の菜の花畑とニ王子岳・飯豊連峰の遠景(4月6日撮影)

余談
この曲が作曲された頃は、現代のピアノの前身であったフォルテ・ピアノがどんどん進化しているまっただ中で、その最新の楽器の性能をモーツァルトは敏感に感じ取って、曲作りに反映させていたようです。
当時のフォルテ・ピアノでこの曲を演奏したものを私は聴いたことがありませんが、いずれ機会をみて聴いてみたいと思っています。きっと現代のピアノとは随分違った雰囲気になるように思います。
フォルテ・ピアノでの演奏
ネットで探していたら、YouTubeにフォルテ・ピアノでの演奏がアップされてました。
やはり響きがソフトで親しみやすい感じの演奏になっているように思います。
  Link ▶▶ K. 448 - (I) Allegro con spirito  played by two fortepianos

2017年4月6日木曜日

K.380(374f) ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 第3楽章

モーツァルトがウィーンに定住した1781年に書かれたヴァイオリン・ソナタを聴いていますが、今日は「アウエルンハンマー・ソナタ」集の最後の第6曲目を取り上げます。 全体は3楽章からなっていて、非常に華麗で堂々とした構成になっています。
この第3楽章はアレグロで変ホ長調ですが、特徴的なのは、まるで協奏曲のようなロンド形式の楽章になっていることです。
スキップするような軽やかな主題の後に、ピアノとヴァイオリンの力強いユニゾンがあり、ピアノのオーケストラ風の分散和音の伴奏があり、カデンツァ風のコーダさえついて、とてもダイナミックな音響を生み出しています。曲集の最後を飾るのにふさわしい見事なフィナーレです。


ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.380(374f)/第3楽章 Rondeau(Allegro)

余談
「アウエルンハンマー・ソナタ」集のうちの3曲の一部楽章を聴いて来ましたが、どの曲も実に魅力的で、モーツァルトの涸れることのない豊かな才能の大海を感ぜずにはいられません。
この時期にモーツァルトはザルツブルクの大司教とは完全に決別して、これ以後、自由な作曲家としてその才能の爆発ともいえる、数々の名作を生みだす黄金期を迎えることとなります。

2017年4月3日月曜日

K.377(374e) ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 第2楽章

今日は「アウエルンハンマー・ソナタ」集の第3曲目の第2楽章を聴いてみます。
この曲は K.376 の次に作曲されましたが、調性がヘ長調で同じために、間にマンハイムで作った K.296 ハ長調 をはさんで第3曲目として出版されたようです。
この楽章は物悲しいニ短調で、主題と6つの変奏で構成されています。
ヘルマン・アーベルト(1871-1927、ドイツの音楽学者)はこれらの変奏を「憂鬱な諦念を示唆し、シンコペーション音型の発展は責めさいなむような効果を持つ。」といっています。
またこの楽章は、後に作られる有名な「弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421(ハイドンセット第2番)」のフィナーレを予示しているといわれています。


ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 K.377(374e)/第2楽章 Andante ニ短調

Link ▶▶  弦楽四重奏曲 ニ短調 K.421 第4楽章

余談◆ きらクラ! 重大発表!?
本日の「きらクラ!」は冒頭に「重大発表が最後にある」とのことで、ちょっとドキドキしましたが、ふかわ流ひっぱり戦略?で「次週から放送時間が5分短縮!」とのことで、大笑いしてしまいました。
全国のリスナーさんの「ああーーーっ、もっと聞きたい!!」効果はいかばかりか、来週体験してみましょう!
また、ふかわさんはご自身の口からは言いづらかったようですが、NHKの局内で「きらクラ!」はやはり高く評価されているようで、ファンとしてはとても嬉しくなりました。

2017年4月2日日曜日

K.376(374d) ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 第1楽章

1781年の夏にモーツァルトは6曲からなるのヴァイオリン・ソナタ集、いわゆる「アウエルンハンマー・ソナタ」をまとめています。そしてこの曲集は年末にアルタリア社から「作品(2)」として出版されました。1778年に出版された「選帝侯妃ソナタ」以来の作品集です。
自立した作曲家として楽譜の出版も大切な収入源であったと思われますが、著作権が確立していなかった当時は、海賊版も横行していたためか、モーツァルトに大きな収入はもたらさなかったようです。
このK.376はこの曲集の第1曲にあたります。
第1楽章はフォルテの和音で始まり、これにヴァイオリンの柔らかい旋律が続いています。全体を通して簡明で生き生きとした楽章です。


ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 K.376/第1楽章 Allegro

<写真>近くの田圃のわき道に顔を出した土筆

余談
この曲集はアウエルンハンマー嬢(オーストリアの実業家アウエルンハンマー氏の令嬢ヨゼファ)に献呈したので、「アウエルンハンマー・ソナタ」と呼ばれています。
このアウエルンハンマー嬢は才能豊かなアマチュア以上のピアノ奏者であったようで、モーツァルトも高く評価していたようです。以後彼女との2台のピアノのためのソナタ K.448や2台のピアノのための協奏曲を共演していたようです。
この才能豊かな彼女はモーツァルトに心をよせていたようですが、モーツァルトは彼女に対して音楽以外には全く興味を示さず、むしろ嫌悪していたようです。
そのことは、1781年8月22日付の父宛の手紙にかなり辛辣に書かれています。
「……では娘はどうか。画家が悪魔を本物らしく画こうと思ったら、この娘の顔に助けを求めるほかない、と言ったところです。……」(岩波文庫「モーツァルトの手紙(下)」P16より引用)
モーツァルトが残した多くの手紙は、彼の音楽とは裏腹に世俗的でえぐい内容も多く当惑してしまいます。普通ここまで書かないよ……。

2017年3月25日土曜日

K.373 ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調

今日はモーツァルトがウィーンに定住してからすぐに書かれた、ヴァイオリンとオーケストラのための小品を聴いてみます。
この作品は、ザルツブルクの大司教の父親にあたるウィーンのルドルフ・ヨーゼフ・コロレードの屋敷で1781年4月8日に演奏されたそうです。
よく知られているように、モーツァルトはヴァイオリン協奏曲を1775年に集中的に作曲して、 それ以後はヴァイオリン協奏曲を書いていませんが、ヴァイオリンとオーケストラのための小品はいくつか残しています。
この曲は弦楽5部にオーボエ、ホルンが各2本の構成で、アレグロ・グラツィオーソの流れるような主題で始まり、ロンド形式で様々なテーマをはさみながら優雅に洗練された統一感を持った、小さな名作です。


K.373 ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調 K.373 Allegretto grazioso

余談
すっかり春めいて来ました。当地の梅も見頃となり、桜の蕾も日に日に膨らんでいるようです。
やはり雪国の住人にとって、春の訪れは格別な喜びがあります。
モーツァルトの音楽が最も似合う時期かもしれません。

2017年3月21日火曜日

K.360(374b)「泉のほとりで」の主題による6つの変奏曲

モーツァルトがウィーンに定住してからは、かなり忙しい日々を送っていました。
以前の宮仕えとは違い、自身の収入は自身の手で稼ぎ出さなくてはいけないのですから。
そんな中で音楽の生徒を獲得することは地味ですが堅実な収入源でした。そしてこの時期モーツァルトは生徒たちのための教材用に多くのピアノ曲やヴァイオリン曲を書いています。
現在のように定番の教材が印刷されて出来上がっている時代とは隔世の感があります。
この曲は、ウィーンで最初のピアノの弟子となったド・ルンベック伯爵夫人のために書かれた2曲のピアノとヴァイオリンのための変奏曲の中のひとつで、1781年の7月頃に書かれたものと思われています。おそらく生徒がピアノを弾いて、脇でモーツァルトがヴァイオリンを合わせていたものと思われます。
この主題は、パリ在住中に親しんだシャンソン歌集の中からの「泉のほとりで」という曲から取られているそうです。哀愁を帯びたト短調の旋律が心に沁みてきます。


「泉のほとりで」の主題によるピアノとヴァイオリンのための6つの変奏曲 ト短調 K.360(374b) Andantino 
<写真>近くの白山神社の松の根元の苔?
余談
しばらく所用のために更新が滞ってしまいました。
その間、きらクラ!のBGM選手権では、ファンの会の幹事長ともいえるBWV1000番さんがベストを取られ誠にわが事のように嬉しかったです。選曲も素晴らしく、その守備範囲の広さに敬服しました。
またBWV1000番さんのブログで知ったのですが、今週名付け親でベストを取られた大受けの『拙者、琢磨と申す』はこれまたブロ友の今日も快調さんだそうで、毎週の大活躍にこれまた拍手!!でした。みんなさんセンスいいです!!
ところで、今週のBGMのお題は、全く新しいジャンルでかなり面白いですね。難しい文学作品と違って、結構気楽に投稿できそうです。とりあえず問題は解けたから、中学は入学出来るかな・・・?

2017年3月11日土曜日

K.384「後宮からの逃走」第3幕 終曲(Vaudeville)

捕えられた4人が、一縷の望みを抱きつつも、死を覚悟して裁きを待っているところに太守セリムが登場して判決を言い渡します。
「それでは俺の決心した判決を下す。…みんなを放免してやるから、一緒に本国に帰るがいい」と言い、予想外のことで一同が唖然としてしまいます。そして太守が続けます……「お前の父親は俺にひどいことをした。俺はお前の父親を心の底から憎んでいる。しかし、お前の父親と同じようなことはやりたくないんだ。」こう言うと、一同はその寛大さに心から打たれ、恥じ入り、心から感謝します。
この最終場面で歌われるのがこのヴォードヴィル(軽喜歌劇)です。
途中にオスミンの怒り狂ったような歌唱をはさんで、太守を讃える大合唱で華やかなエンディングを迎えます。


「後宮からの逃走」K.384 第3幕 Vaudeville『ご恩を決して忘れず、永遠に感謝します 』--『セリム太守をたたえよ!』

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
ベルモンテ(B)
   ご恩を決して忘れず 永遠に感謝します。
   いつ、どんな場所でも あなたの高貴さをたたえます。
   このようなご恩を忘れる者は 軽蔑されてしかりです。
コンスタンツェ(K)、B、ペドリロ(P)、ブロンデ(Bl)、オスミン(O)
   このようなご恩を忘れる者は 軽蔑されてしかりです。
K   あなたの愛に 感謝の気持ちを忘れません。
   愛を捧げられた私の心は あなたに感謝し続けます。
   寛大な愛を忘れる者は 軽蔑に値しますわ。
K,B,P,Bl,O
   このようなご恩を忘れる者は 軽蔑されてしかりです。
P   縛り首寸前だったことを忘れてはいけない。
   罰せられたかもしれないことを 思い起こします。
   恩を忘れる者は 軽蔑に値するのです。
K,B,P,Bl,O
   このようなご恩を 絶対に忘れてはなりません。
Bl  太守様に心から感謝します。食事と床を与えてくださったわ。
   ここから解放してくださり うれしく思います。
   (オスミンを指し)
   あの連中に囲まれて よく退屈しないものね。
O (怒りながら)
   仕事をサボる奴らを 火あぶりにしてやりたい 我慢の限界は近いぞ。
   奴らを処刑するなら…口で言うのももどかしい
   首を切り、吊るして 熱い鉄棒で串刺しだ
   焼いたあと 水に浸して皮をはぐ。
K,B,P,Bl
   復讐ほど醜いものはない。復讐は人の道に外れること
   業を捨て 寛大な心をもつのです!
K   それが分からない者は 軽蔑の目で見られるは。
K,B,P,Bl
   それを理解しない者は 軽蔑されて当然です。

従者の合唱
   セリム太守を万歳でたたえよ! 彼の領国に繁栄あれ!
   歓呼と名声によって 彼の頭上は光輝く。
   セリム太守、万歳! 彼の領国に繁栄あれ!

余談
白鳥もほとんど北国に帰ってしまいました。春はすぐそこです。
「後宮からの逃走」もようやく終幕を迎えました。
太守セリムの寛大な判決によって、めでたくハッピーエンディングで幕を閉じました。
このオペラの初演は大成功をおさめ、繰り返して上演されたようです。そしてモーツァルトはウィーンでの生活の基盤を確立し、このオペラに登場するコンスタンツェと同じ名前の愛妻を獲得します。
数々の美しい旋律、ちょっとコミカルなリズム、エネルギー溢れるオーケストレーション、深い感情を見事に映し出すハーモニー等、傑作揃いのモーツァルトのオペラの中でも、ひと際若さ溢れる魅力的な作品です。これからも何回も味わいたい名作です。

2017年3月6日月曜日

K.384 第3幕 二重唱『 なんという運命だ! 』

オスミンに捕えられた4人は太守セリムに突き出されます。
脱出しようとしたコンスタンツェを、セリムは裏切り行為だと激しく非難します。
さらに、太守が過去に自身の地位や財産を奪われた宿敵の子孫がベルモンテであることを知るに至り愕然とします。
追って処分を言い渡すことを告げて、オスミンは一旦退場します。
そして死刑を覚悟したベルモンテとコンスタンツェが歌うのが、このアリアです。
悲劇的な結末を予感させる哀しいアリアです。


「後宮からの逃走」K.384 第3幕 『 なんという運命だ! 』/変ロ長調 Andante(抜粋)

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
ベルモンテ(B)
   なんという運命だ! 心が痛む!
   世の中のすべてが 裏目に出てしまうのか?
   コンスタンツェよ 君は僕のせいで死ぬのか! 何ということだ!
コンスタンツェ(K)
   どうか自分を責めないで 死が何なの?
   死は安息への道よ あなたのそばで死ねるなら 幸福への第一歩でもあるわ。
  天使のような心よ! なんと優しく善良なのだ!
   僕の震える心を慰めてくれる 死への苦痛も和らげてくれる
   そんな君を僕は 墓へと引きずり込むのか!
   僕のせいで君は死なねばならない! ああコンスタンツェ
   君の目を見つめられない 僕が君に死をもたらした!
  ベルモンテ、私のせいであなたを死に追いやった。
   私があなたを破滅に追い込んだのよ。
   だから私も一緒に死ぬべきなのです!
B&K高貴な心よ、私(僕)は あなた(君)のために生きてきた
   それが希望であり力の源だったのです。
   あなた(君)がいなければ たとえこの世に生きていても苦しみだけ。
   ・・・・・・・

余談
ようやく「後宮からの逃走」もクライマックスを迎えます。
このオペラには21曲の主要な曲(アリアや重唱)がありますが、今回はその中から約半分の曲を取り上げました。この他にも魅力的なアリアが沢山ありますが、容量の関係で割愛させていただきました。
あらためてモーツァルトのオペラを観ると、それぞれの登場人物の生き生きとした的確な音楽表現にただただ魅せられてしまいました。
残念ながら私はまだこのオペラを生で観たことがありません。今度機会があったら是非観劇して、生の音楽に浸りたくなりました。
今日の「きらクラ!」
先週の余韻の残る中、今日の「きらクラ!」は通常モードに戻り、読者の心温まるおたよりの数々にほっこりしました。
きらクラ!DONで沖縄県のケニーさんが「月の光」が余りに好きで、経験のないピアノに挑戦して、1ケ月かけて楽譜の2頁まで弾けるようになったというお話がありました。私も10年以上前に曲は違いますが、同じようなことをしてましたので、とても共感出来ました。好きな曲を自分で弾いて、その和音を直接体感できる幸せは格別なものです。また再挑戦してみたいと思います。
さらに投稿で、「きらクラ!寿司」のお話は親子でちょっとしたことに楽しみを見つけてらっしゃる微笑ましい光景に心和みました。また、「水上(みなかみ)の音楽」から派生した「雪の古町(降る街)」は私の地元ネタなので大笑い! 楽しい放送でした。

2017年3月5日日曜日

K.384 第3幕 『 俺が勝ちどきを上げるのは 』

場面は移って、太守セリムの館の前で第3幕の開幕です。
ベルモンテたちの脱出計画は実行に移されていきます。
コンスタンツェ、ブロンデの部屋に梯子をかけて順次彼女たちを救出していたら、物音に気付いたオスミンが彼らを見付け、取り押さえてしまいます。
もともと彼らには好意を持ってなかったオスミンは、彼らの悪事を暴き、得意になって勝どきを上げます。 その時に歌われるのがこのアリアです。
オスミンが大声で歌う有名なアリアで、リズミカルで生き生きとした音楽です。


「後宮からの逃走」K.384 第3幕 『 俺が勝ちどきを上げるのは 』/ニ長調 Allegro vivace

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
オスミン
   俺が勝どきをあげるのは お前たちが処刑場に行く時 縛り首になる時だ!
   俺は小躍りして喜びの歌を歌うだろう これで厄介払いできる。

   俺が勝どきをあげるのは お前たちが処刑場に行く時 縛り首になる時だ!
   お前たちが屋敷のネズミに足音を忍ばせても 俺たちはだまされないからな
   俺たちの耳はしっかり聞きつけるぞ 首に縄をかけるぞ。

   俺が勝どきをあげるのは お前たちが処刑場に行く時 縛り首になる時だ!

余談
だいぶ途中を割愛しましたが、もうすぐ白鳥も北国に帰ってしまうので、急いで最後の3幕に行きました。
このオペラではオスミンという役は大活躍します。このアリアも彼の独壇場です。
太守セリムが当時の配役の関係か歌う場面がないために、オスミンの活躍の場が増えたのかもしれませんが、豊かな低音を響かせて愛すべきキャラクターが見事に描かれています。

2017年2月27日月曜日

K.384 第2幕 二重唱『 万歳 バッカス! 』

脱出計画を進めるうえで、警備のオスミンは最大の障害となるために、ペドリロはオスミンに眠り薬を入れた酒を飲ませることを計画します。
屋敷の庭でペドリロは酒の瓶を持って楽しそうに騒いでいます。そしてオスミンにも飲ませようと言葉巧みに誘います。
飲酒が禁じられているイスラム教のオスミンですが、誘われて飲みたくてたまりません。そんな場面で歌われるのが、この二重唱です。
管楽器のコミカルなメロディーに乗せて、二人が愉快なやりとりをします。


「後宮からの逃走」K.384 第2幕 『 万歳 バッカス! 』/ハ長調 Allegro

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
ペドリロ(P)
   万歳、バッカス! バッカス、万歳!バッカスは偉い男だ!
オスミン(O)
   やってもいいのか? 飲んでみたいがどうしよう?
   アラーの神は見ているかな?
  何をぐずぐずしている? 飲んだらいいさ!
   ためらう必要なんてない!
  よし、飲もう(ワインを飲む)
   とうとう飲んじまった! 酒を飲んじまったよ!
P・Oブロンドでも黒髪でもいい この世の女たちに乾杯だ!
  うまい酒だ!
  これぞ神の飲み物だ!
  ・・・・・・・

 ◆余談・今日の『きらクラ!』 小沢健二さん異次元!!
私は小沢健二さんについては殆んど何も知らない状態で放送を聞かせていただきました。
まず、真理さんとオペラシティでユニークなコンサートをした繋がりで今回の出演になったこと。真理さんとその後も親しいお付き合いしている様子等驚くお話ばかり。
ご自身が作曲する時の音を選ぶシーンを鮮明に記憶していることなど、凄い音楽家でいらっしゃると感じました。生まれながらに持ってらっしゃるDNAの素晴らしさを随所に感じさせるお話の連続でした。

また今回のBGM選手権での小沢さんのコメントは秀逸で、長く記憶に残る歴史的な内容だと思いました。
まずボリス・ヴィアンのこの作品を20年程前に読んで、内容もしっかり記憶されていらっしゃいました。そして作者のヴィアンの作風の背景もよくご存知でした。この小説がお題になっていることを知らずにいらっしゃたのですから、さすがに東大文学部です。
1曲目のシューマン「森の情景」から『寂しい花』では、その花はクロエの肺に蓮の蕾ができる病気の象徴と捉えらえていらっしゃいました。
2曲目の武満徹「3つの映画音楽」から『ワルツ』では、武満さんの「自分の音楽の個性が一番現れるのは、(尺八とか笙などの日本の楽器ではなく)実は西洋音楽の伝統的楽器使った曲を書いた時だ。その時にこそ日本的な空間が現れる。」とのコメントを紹介され、非常に頷いていらっしゃいました。
3曲目はストラヴィンスキー作曲 歌劇「マブラ」より『ロシアの歌』、トミー・ライリーのハーモニカ演奏版。これには、ヴィアンは20世紀中頃のアメリカのジャズやブルースに傾倒していて、このハーモニカの演奏はその雰囲気をよく出していて、素晴らしい選択だと讃えられていらっしゃいました。
4曲目のコープランドの「クラリネット協奏曲」では、アメリカの雰囲気がでていてクラリネットの響きがよくマッチするとおしゃっていました。
ベストは3曲目の大磯町のレコポンカンさんになりました。
4曲ともそれぞれ違った雰囲気を出した素晴らしい選曲で、投稿された方々、選んだコダマッチさんに敬意を表します。そして今回は小沢健二さんの珠玉のコメントが加わり、正に神回といっていいBGM選手権でした。

さらに最後の小沢さんの1曲で、デニス・ジョンソンの「November」というピアノ・ソロの不思議な曲がかかりました。その後のコメントにはさらに驚かされました。小沢さんは音楽の本質的なところを深く理解された素晴らしい方だと感じました。
関係者の皆様、素晴らしい放送を聴かせていただき本当にありがとうございました。

2017年2月26日日曜日

K.384 第2幕 『こんな喜びは他にない』

歌い終わって、その場に倒れてしまったコンスタンツェを侍女たちが介抱して宮殿の中に連れていきます。
しばらくして、ブロンデがコンスタンツェを捜していると、ペドリロに呼ばれ、ベルモンテが助けにやってきたことを告げられます。そして岸辺に船が停泊しているから今夜それに乗って脱出しようと話します。
これを聞いたブロンデは大喜びでこのアリアを歌います。
とてもリズミックで若々しいエネルギーに溢れていて、一度聴いたら忘れられない旋律です。


「後宮からの逃走」K.384 第2幕 『こんな喜びは他にない』/ト長調 Allegro

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
ブロンデ
   こんな喜びは他にない うれしくて胸が一杯よ!
   この朗報を早く知らせてあげましょう。
   コンスタンツェ様は気弱になっている。
   早く笑顔と希望を 疲れ切った心に光と歓喜を届けましょう。
   (※繰り返し)

2017年2月25日土曜日

K.384 第2幕 『どんな責め苦も受けましょう』

第2幕の舞台は太守セリムの宮殿の庭園です。
お茶の支度をしているブロンデに、密かに想いを寄せるオスミンが愛を勝ち取ろうと迫りますが、一枚上手のブロンデに軽くいなされ、追い出されてしまいます。
そこへ悲しみ沈んだコンスタンツェが現れ、ブロンデから慰めの言葉をかけられますが、コンスタンツェの心は塞いだままです。
そんなところに太守セリムが現れ、再びコンスタンツェに愛を請います。しかし応じる気配のないコンスタンツェに、セリムは力ずくで愛を奪おうとして、無理やり口づけをします。抵抗できないコンスタンツェは、死ぬ覚悟はできていると毅然として歌うのがこのアリアです。
オーケストラの長い序奏のあと歌が始まり、アレグロ・アッサイに高まったのちに、初めのアレグロに戻り、再びアレグロ・アッサイに入って、コーダで結ばれます。
かなり長く迫力のあるアリアで、コンスタンツェの気概を見事に表現してます。


「後宮からの逃走」K.384 第2幕 『どんな責め苦も受けましょう』/ハ長調 Allegro

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
コンスタンツェ
   どんな責め苦も受けましょう
   どんなつらい拷問でもいい 笑って苦痛に耐えてみせる。
   この心を揺るがすものは何もない。
   恐れることはただ一つ それは操を失うことだけ。
   考え直して 苦しめないで。
   そうすればあなたに天の祝福が与えられることでしょう!

   決心は変わらないのですね。
   ではどんな責め苦も受けましょう どのような苦痛でもいい。
   指示すればいいわ 大声をあげて激怒しても
   最後には死が私を解放してくれます。

2017年2月24日金曜日

K.384 第1幕 三重唱『行け! 行け! 行け!』

コンスタンツェは、悲しみを忘れるためには時間が必要だと言い残して立ち去ります。
太守セリムは心穏やかではありません。意に沿わないコンスタンツェへの苛立ちと愛する気持ちが交差します。
そこへ、ペドリロがベルモンテを連れて現れ、ベルモンテを建築家としてセリムに紹介し、首尾よくセリムの承諾を得て、ベルモンテは屋敷で雇われることになります。
ベルモンテとペドリロが屋敷に入ろうとすると、あの番人のオスミンが立ちはだかります。その場面で歌われのが、この三重唱です。
3人の激しいやり取りが、アレグロ―アレグロ・アッサイの音楽に載せて軽妙に展開されます。
その後、オスミンの隙をみて、二人はなんとか屋敷に侵入することができ、第1幕は終わります。


「後宮からの逃走」K.384 第1幕 三重唱『行け! 行け! 行け!』/ハ短調 Allegro - ハ長調 Allegro assai

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
オスミン(O)
   行け! 行け! 行け! とっとと消えうせろ!
   さもないと 即刻 鞭打ちの刑だぞ!
ベルモンテ(B)とペドリロ(P)
   何だと? お前はいったい何様だ、無礼者め!
  近寄るな。
B&Pドアの前を空けるんだ。
O  近寄るな。
B&P中に入れろ!
  殴るぞ!
B&P中に入るぞ
  うせろ! 殴るぞ!
B&P中に入るぞ
  とっとと消えうせろ! 一発殴るぞ!
B&Pさっさと、どけ! 我々を中に入れるんだ!
  行け! 行け! 行け! とっとと消えうせろ!
   さもないと 即刻 鞭打ちの刑だぞ!
   とっとと消えうせろ! 一発殴るぞ!
B&P我々を中に入れるんだ! お前はいったい何様だ、無礼者め!
   さっさと、どけ! 中に入るぞ! 入るぞ! そこを、どけ!

2017年2月23日木曜日

K.384 第1幕 『私はある人を愛し、とても幸せでした』

合唱が終わると、太守は悲しげにしているコンスタンツェに話しかけます。
「お前はまだ悲しがっているのか。私はお前を自分のものにしようと思えば、すぐに出来るが、それは望むところでない。私としてはお前が心から私を迎えるようになってほしいんだ。」と紳士的に求愛します。
そう言われたコンスタンツェは「私はベルモンテを愛しているので、あなたの愛を受け入れることはできない」と言って、このアリアを歌います。
悲しみの表現も比較的軽やかで、美しいコロラトゥーラの装飾をふんだんに盛り込んだアリアになっています。このことはモーツァルトが大衆に親しみやすく、わかりやすいオペラを意図していたことをうかがわせます。


「後宮からの逃走」K.384 第1幕 アリア『私はある人を愛し、とても幸せでした』/変ロ長調 Adagio - Allegro

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
コンスタンツェ
   私はある人を愛し、とても幸せでした。
   愛の苦しみなど知らずにいました。
   真実の愛を誓ったのです そしてこの心のすべてを捧げたのです!
   ところが愛の喜びは一瞬にして消えてしまいました。
   別れという悲しい運命が訪れてのです。
   だから私は今 深い悲しみに暮れています 涙に濡れているのです。

2017年2月22日水曜日

K.384 第1幕 『偉大な太守をたたえて歌え』

この悶着の後、ベルモンテは対話を諦めて退場します。
そこへ、ペドリロ(かつてのベルモンテの従僕)が現れますが、オスミンはペドリロにも怒りだし、激しいやりとりをします。腹を立てたままオスミンは家に入ります。
一人残ったペドリロもオスミンへの敵意が消えません。
そこへデルモンテが再登場してペドリロとの再会を喜び合います。
そして二人は後宮からの脱出作戦を練ります。ベルモンテはコンスタンツェとの再会が現実味を帯びてきたことに胸を高鳴らせます。
そんなところに、舟遊びを終えた太守セリムがコンスタンツェと大勢の従者とともにやって来ます。
その時に歌われるのが、この従者の合唱です。
太守を讃える合唱ですが、途中四重唱がはさまります。打楽器をたくさん使って、トルコ風の賑やかな音楽になっています。


「後宮からの逃走」K.384 第1幕 従者の合唱『偉大な太守をたたえて歌え』/ハ長調 Allegro

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
合唱※
   偉大な太守をたたえて歌え 情熱の歌よ。
   浜辺にこだまするように歌え 歓喜の歌よ!
4人の独唱
   太守に向かって涼しい風が吹く 寄せる波よ、穏やかに静まれ!
   太守を迎え歌声は大きくなる 太守に愛の喜びを歌え!
合唱※(繰り返し)

余談
今日、「きらクラ!」のHPを見たら、26日には「シンガーソングライターの小沢健二さんが出演」とのこと……。楽しみです。

2017年2月21日火曜日

K.384 第1幕『純粋そうなかわいい娘を見つけたなら』

ベルモンテが歌い終わると、そこにオスミンが現れます。彼は太守セリムの護衛長で、がっしりした大男で、豪快で粗野、感情の起伏の激しい人物ですが、センチメンタルで滑稽な一面もある人物です。
そのオスミンがザクロの実を取りながら、上機嫌で歌っています。
そこへベルモンテは幽閉されているコンスタンツェらのことを聞きだそうとしますが、オスミンは一向に耳を貸そうとしません。
そんな二人のやり取りを、最初はアンダンテから始まって、転調を繰り返しながら次第に激しくなる音楽に乗せて、実に生き生きとした場面を展開していきます。


「後宮からの逃走」K.384 第1幕 リートと二重唱『純粋そうなかわいい娘を見つけたなら』/Andante ト短調 - Allegro ト短調(抜粋)

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
オスミン(O)
   純粋そうなかわいい娘をみつけたなら
   たくさんのキスをして 彼女の人生を楽しくしてやりな
   恋人になって心を癒してやることだ。トララレラ トララレラ!
ベルモンテ(B)(語る)
   おい、ここは太守セリムの宮殿では?
  <オスミンはベルモンテを無視して、庭仕事をしながら歌い続ける。>
  彼女の操を守らせるため 用心深く囲うのさ。
   ふしだらな男どもが寄ってきて 蝶に手を出さないように
   ワインを飲むように味見されては困る。トララレラ トララレラ!
  おい! 聞えないのか? ここは太守セリムの宮殿か?
  <やはり無視して歌い続ける。>
  月が明るい夜は 特に注意が必要だ!
   世間知らずの娘を 誘い出されたら一大事
   そうなったら操なんて、おさらばだ! トララレラ トララレラ!
  いまいましい奴め いまいましい歌め!
   歌は聞き飽きた 僕の問いに答えない気か!
  厚かましい奴め。何様のつもりだ。何を聞きたい?
   さっさと言え 俺はもう行く。
  ここは太守セリムの屋敷か?
  何だ?
  太守セリムの屋敷か?
  太守のお屋敷だとも。
  <オスミンは行こうとする。>
  待て!
  俺に何の用だ。  ・・・・・・

2017年2月20日月曜日

K.384「後宮からの逃走」第1幕 『ここで君に会えるはずだ』

序曲の後、第1幕の開幕です。
舞台はトルコにある太守セリムの館の庭。ペドリロが密かに出した手紙を読んだベルモンテが、恋人コンスタンツェを探しにはるばるスペインからやって来ました。
その安否を気遣いながら、ベルモンテが彼女への熱い想いを歌うのがこのアリアです。
序曲の中間部に出てきた短調の旋律が、ここでは長調になって再現されます。


「後宮からの逃走」K.384 第1幕 ベルモンテのアリア『ここで君に会えるはずだ』/ハ長調 Andante

<訳> (小学館 魅惑のオペラ 第17巻より転載)
ベルモンテ
   ここで君に会えるはずだ、いとしのコンスタンツェ!
   天よ、力をお貸しください、どうか僕の心の安らぎを取り戻してください!
   僕は苦しみに耐えてきた、心の痛みを忍んできたのだ。
   僕に喜びを与えてください、この切なる願いをかなえてほしい。
   
余談
このオペラはモーツァルトの人生と不思議に重なり合っています。
故郷ザルツブルクと決別し、ウィーンでこのオペラを作曲していた頃(1781年~82年)、モーツァルトは正にコンスタンツェとの結婚を考えていました。しかしそのことは故郷にいる父親には快く認めてもらえませんでした。
その状況を打破し、父親にこの結婚を認めてもらうためには、モーツァルトにとってこのオペラの成功が必須であったのです。
つまり、自立した作曲家という、今まで誰もなしえなかったことに挑む者にとって、音楽で生計を立てるためには、オペラの成功こそが最も確実な道だったのです。(頑張れ!!! モーツァルト!!!!)

◆祝・「きらクラ!」 継続決定!!!◆
今週のきらクラ!でうれしいニュースがありました。
そうです、4月からも現在のスタッフで番組が継続することになったそうです。
 Link▶▶ ふかわさんのブログ
よかったです。真理さんが読響に入団されて、スケジュールが厳しいのではと危惧しておりましたので、ほっとしました。本当によかったです。
ふかわさん・真理さん、コダマッチさんはじめスタッフ方々、そして多くの素晴らしいリスナーの方々の黄金のトライアングルで、ますます素敵な番組になるように祈っています。私もささやかな投稿を続けたいと思っております。

2017年2月18日土曜日

K.384 ジングシュピール「後宮からの逃走」 序曲

モーツァルトはザルツブルクの大司教の支配下で長く思うような作曲が出来ない環境から逃れ、1781年に独立した音楽家を目指す道を選び、ウィーンに定住したました。
溢れる才能を発揮しようにも、オペラを上演出来る劇場もなかった地方都市ザルツブルクを離れ、環境の整った音楽の都を根城にすることは彼にとって必然の道でした。
そして、ウィーンに定住してから最初に完成したオペラが、この「後宮からの逃走」です。

当時の皇帝ヨーゼフ2世はイタリア語ではなく、母国語・ドイツ語でのオペラを希望し、またモーツァルトも同じくドイツ語オペラを作りたかったため、台本はドイツ語で書かれたブレツラーのものを、モーツァルトの知人であったゴットリープ・シュテファニーが改編した版を使っています。
自立した作曲家として生活していくためには、オペラの成功は必須条件だと思っていたモーツァルトは、非常な情熱を傾けて作曲に臨みました。
その結果、青春の瑞々しい感性に満ち溢れた記念碑的な作品となりました。

このオペラは、当時ウィーンで流行していたトルコを舞台とした題材なので、序曲もピッコロ、トライアングル、シンバル、大太鼓が加わった、トルコ風の華やかな音色が疾風のように流れます。途中短調のアンダンテがはさまり、再びプレストに戻ります。


「後宮からの逃走」K.384 序曲 Presto ハ長調

≪主な登場人物≫
コンスタンツェ(ソプラノ)…ベルモンテの恋人
ベルモンテ  (テノール)…コンスタンツェの恋人・スペインの貴族
ブロンデ   (ソプラノ)…コンスタンツェの侍女
ペドリロ   (テノール)…ブロンデの恋人でベルモンテの従者
オスミン   (バス)………大守の後宮の番人
セリム    (語り)………トルコの大守

≪簡単なあらすじ≫
スペインの身分の高い家の娘コンスタンツェは、航海中に海賊に襲われて捕虜になってしまい2人の召使い(ブロンデとペドリロ)と共にトルコの大守セリムに買い取られ、今は大守の後宮(ハーレム)に幽閉されています。
ベルモンテは恋人のコンスタンツェを救い出すために、大守の別邸に乗り込みます。
しかしそこでは番人のオスミンに妨害され追い返されますが、偶然会ったペドリロと脱出の計画を練ります。

宮殿の庭ではオスミンが今では女奴隷になっているブロンデに言い寄りますが、彼女は全く相手にしません。
一方大守はコンスタンツェに執拗に求愛しますが、彼女は頑として拒否するため、大守の我慢は限界になりつつあります。
そんな中、ベルモンテの救出計画は・・・・・・

余談
「フィガロの結婚」から2年ぶりにオペラを取り上げます。
オペラを扱うのは、私にとってはかなりハードルが高いのですが、オペラのないモーツァルトは考えられませんので、非力を顧みず書かせていただきます。不備も多々あろうかと思いますが、ご海容ください。
詳しくストーリーを追ったりすることはしないで、主なアリアをピックアップして、モーツァルトのオペラの楽しさを伝えられるようにしたいと思っています。
写真はオペラとは全く関係なく、ちょっと時期が遅れてしまいましたが、年末・年始に撮影した白鳥を主体に載せさせていただきます。この白鳥たちがみな北国に帰ってしまう前にフィナーレを迎えたいと思っています。

2017年2月7日火曜日

K.364(320d) ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調

ザルツブルク時代のモーツァルトの屈指の名作といわれる協奏交響曲を聴いてみます。
マンハイム=パリ旅行から帰ってきたモーツァルトが、当時パリで大流行していた協奏交響曲形式の楽曲を紹介しようと、1779年8月頃に作曲したものと思われています。
複数の独奏楽器が活躍するこのジャンルの曲は、同じ頃に書かれた K.297bの協奏交響曲、K.299のフルートとハープのための協奏曲などの流れに沿ったもので、モーツァルトの豊かな音楽性と卓越した作曲技巧が見事に発揮された作品になっています。
この第1楽章はアレグロ・マエストーソ、ソナタ形式で書かれています。冒頭のトゥッティに6つのモティーフ、その後の独奏楽器の新しい6つのモティーフが現れるという多彩な構成で、ヴァイオリンとヴィオラが五分に渡り合って堂々とした楽想を展開し、聴くものを魅了します。


ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)/第1楽章 Allegro maestoso

<写真>新雪の蒲原平野と弥彦山(新潟市西蒲区夏井にて1月15日撮影)
    この頃の雪は、現在ほとんど融けてしまいました。

余談・今日の「きらクラ!」
冒頭、真理さんが読売日本交響楽団のソロ・チェロ奏者に4月から就任するという話題。
  Link►► 読売日本交響楽団ホームページ
このような伝統のあるオーケストラに入団することはとても大変だと耳にしていましたので、ふかわさんも大喜び。私も大喜び!!!
これからは読響のコンサートに行けば真理さんの演奏が聴けるわけです!! うれしい!!
真理さんはますますお忙しくなるかと思いますが、「きらクラ!」は絶対続けてね!!

2017年1月30日月曜日

K.22 交響曲(第5番)変ロ長調 第2楽章

西方大旅行の時に書かれた、初期の交響曲を聴いてみます。
1765年12月末に旅先のオランダのハーグ(デン・ハーク)での作品で、翌月の1月22日に開かれた公開コンサートのために書かれたものと思われます。
モーツァルト9歳の作品になりますが、1~4番の交響曲に比べ確実に進歩していて、モーツァルト自身の音楽を感じさせる内容になっています。
全体は3楽章で7分にも満たない短い曲ですが、この第2楽章は「ト短調」で書かれていて、後の第25番、40番の名作を思い起こさせます。この楽章での感情表現は当時の社交音楽の範疇を超えたものであると思われます。


交響曲(第5番)変ロ長調 K.22/第2楽章 Andante ト短調

余談・今日のきらクラ!
今日も大変楽しい放送でした。「空耳」でのモツレクには大笑い!! 凄い空耳力!!
また先日読んだばかりの恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」も話題になって、私と同じような感想を投稿された方がいらして嬉しくなりました。「ピアノは打楽器」というバルトークの協奏曲も聴けました。
この小説は構想12年、取材11年、執筆7年だそうで、それを聞いて納得できました。著者自身もピアノを弾かれ、ピアノ音楽を聴くのをなによりの楽しみにしてらっしゃるようで、まさに渾身の名作といえると思います。

そして、BGM選手権はまたまた凄かったです。4作品どれも素晴らしく、感動させていただきました。
何度も採用されていらっしゃる常連のsatotakaさん、となしちさん、レントよりアダージョさん・・・どれも素晴らしい選曲!! 特に私はsatotakaさんの「オーヴェルニュの歌からバイレロ」が好きです。安らぎのメロディー、そしてソプラノの歌唱が入るところは絶品!!
BGM選手権の投稿者の皆様の高レベル世界は、ただただ仰ぎ見るのみです。

最後のラジオネームで、私と同じ名前の方が静岡にもいらしたのか……と思ったら、私の名前を読んでいただき感謝です。コダマッチさんのお慈悲を感じます。今回採用されたBGM作品に比べると、文章力・選曲ともに私のは遠く及ばないことを自覚できました。これからは路線変更して「おやじギャグ」で行こうかな??

2017年1月27日金曜日

【祝 生誕261年】K.6 ソナタ ハ長調

Happy 261st Birthday!!  W.A.Mozart!!!
本日はモーツァルト261回目の誕生日です。
そこで、6~8歳の頃書かれた最初のヴァイオリン・ソナタを聴いてみます。
幼い頃のモーツァルトは父親と一緒にヨーロッパ各地の旅に明け暮れていました。その中でも7歳(1763年6月)から10歳(1766年11月)の3年半にも及ぶ西方大旅行は最も長期に亘るものでした。
ヨーロッパ各地の王侯貴族の前で神童ぶりを発揮して称賛されていました。そして旅行中に父のプロデュースで20曲程のヴァイオリン伴奏つきのソナタが4回に分けて出版されていました。
この曲はその中で最初のもので、次の K.7 と一緒に1764年2月パリで出版されています。当初チェンバロ独奏用に書かれていたものに、ヴァイオリン声部が書き添えられています。
K.6 のみ4楽章構成で、この第1楽章は56小節でソナタ形式の前段階のようなシンプルな作りになっていますが、7、8歳の子供が作曲したものとしては驚きを禁じえません。


ソナタ ハ長調 K.6/第1楽章 Allegro

余談
今年もモーツァルトのお誕生日をお祝いする日がやってきました。嬉しいかぎりです。
ところで全国的に寒波に覆われて震えるような寒さの毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は極力外出を控え、こたつで直木賞受賞の『蜜蜂と遠雷』を読んでいました。こんなにおもしろい小説は久しぶりでした。過去に○○賞受賞作品というのは、読解力不足の私には読後「???」の気持ちになるものが多いのですが、『蜜蜂と遠雷』は『博士の愛した数式』以来の素直に楽しめて感動できる作品でした。
国際ピアノ・コンクールを舞台にした小説で、出場者の心理や演奏曲目の描写など作者の音楽に対する造詣の深さに驚かされました。そして音楽の存在意義の深淵に迫るような記述もあり、感銘深く読ませていただきました。恩田陸さん、ありがとうございました。

2017年1月21日土曜日

K.287(271h) ディヴェルティメント 変ロ長調 第6楽章

終楽章は意表を突いて、独奏ヴァイオリンの悲劇的なレチタティーヴォを思わせるト短調のアンダンテで始まります。
このことは、後の主部のロンド主題が南ドイツの民謡「百姓娘が猫を失くした」によっているためにとられたモーツァルトの機智によるとも解されています。
その序奏の後は一転してアレグロ・モルト、変ロ長調、8分の3拍子のロンドが始まり、ディヴェルティメントらしい快活な曲想になります。
終わり近くにもう一度アンダンテが再奏され、最後にロンドのテーマで締めくくられます。


ディヴェルティメント 変ロ長調 K.287(271h)/第6楽章 Andante - Allegro

余談
本来、気晴らし的な明るい娯楽音楽がディヴェルティメントですが、この楽章にみられるように、モーツァルトは明るさの中に哀愁の翳がただよう、笑いの中に涙が見え隠れするような、たとえようのない美しさを表現しています。
これ以後に書かれたこの種の作品は、単なる娯楽音楽を超越した比類のない芸術作品となっていきます。

ところで、昨日直木賞が発表され、恩田陸氏の「蜜蜂と遠雷」が受賞されました。
この小説はピアノコンクールを舞台にした長編小説だそうで、私の尊敬するクラシック音楽のブロガーの方が非常に高く評価していらしたので、今度読んでみようと思っていた矢先で驚きました。
以前もピアノ調律師の小説「羊と鋼の森」が話題になりましたが、音楽をテーマにした文学には非常に興味をそそられます。